野田土居(のだ) | |
別称 : 野田城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 野田俊吉 | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : 土佐電鉄または土佐くろしお鉄道ごめんなはり線 後免町駅徒歩10分 |
|
<沿革> 野田氏の土居城(館城)である。野田氏は、長宗我部氏7代兼光の弟俊吉にはじまるとされる。 戦国時代の城主野田甚左衛門は長宗我部元親に仕えたが、当初は長宗右衛門大夫と名乗って いた。これは主家長宗我部家を憚り、その姓を短くしたものである。後に野田姓に復したが、天正 三年(1575)の渡川の戦いのあと、宿毛城を与えられて宿毛甚左衛門と名を改めた。 天正十六年(1588)の検地帳には、野田土居城中の土地が甚左衛門のほか数名の所領として 記載されており、このころまでには、野田土居は城としての役割を終えていたものと考えられる。 <手記> 野田土居は、下田川のほとりに建つ典型的な開発領主の土居城といえます。現在は、耕地や 宅地に飲み込まれてしまって、全容をつかむのは難しい状態です。土塁の一部が、城八幡として 利用されていて、道路に面して「野田城跡」と記された小さな立て札が立っています。 |
|
野田土居の土塁跡(城八幡)。 |