| ノヴァーレ城 (Castel Novale) |
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| 別称 : リート城 | |
| 分類 : 平城(Niederungsburg ) | |
| 築城者: ハインリヒ・ド・リアーデか | |
| 交通 : ボルツァーノ駅からバスに乗り、 「Castel Novale」下車 |
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| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1225年にハインリヒ・ド・リアーデ(Riade)の名が見え、13世紀初めごろに築かれたと考えられて いる。同家はリート家(Ried)と呼ばれるようになったが、リート城は同世紀末までにヴァンゲン家の 所有となった。1237年に、フリードリヒ・フォン・ヴァンゲンとベーラルの兄弟がルンケルシュタイン城 を築くまでのこととみられる。 1307年、城はチロル伯オットー3世に売却され、1364年にはチロル伯の爵位と領地がゲルツ家 からハプスブルク家へと移った。1501年からはザルンタイン(今日のサレンティーノ)へ向かう街道 の関所として用いられたが、1509年にリヒテンシュタイン家の手に渡った。1549年には皇帝の顧問 兼宮廷秘書であったクリストフ・クーヴェパッハが城を購入し、1558年に貴族へ昇ってフォン・ウント・ ツー・リート家を興した。クーヴェパッハ家は1688年にはフライヘル(男爵)となり、フォン・クーヴェ パッハ・ツー・リートを称している。 この間、オスマン帝国支配下にあったモルダヴィア公国のペートル跛行公が1591年に退位・亡命 し、ハプスブルク家によってリート城がその居所と定められた。ペートルはこの城で1594年に没し、 ボルツァーノのフランシスコ会修道院に埋葬されている。 19世紀に入ってフライヘル・フォン・イングラム家がリート城を取得し、今日に見る居館形式に改修 した。ノヴァーレ城の名はイタリアのファシスト政治家エットーレ・トロメイが考案し、ファシスト政権 時代に南チロルのイタリア化政策の一環として採用されたものである。 <手記> ノヴァーレ城は、すぐ南にロンコロ城を見上げるタルヴェーラ川沿いの平城です。葡萄畑に囲まれ、 今も個人所有ということで遠目に眺めるのみとなっています。ノヴァ(Nova)とはイタリア語で新しいの 意ですが、Novaleという単語はなく、ファシスト時代の造語のようです。 城の周囲には一家分の畑地しかなく、川べりという以外に要害性もみられず、そもそもロンロコ城 があるので戦うなら一も二もなくそちらへ籠ったほうがよいでしょう。「一度も落ちたことがない」のが ノヴァーレ城の自慢だそうですが、そもそも労力をかけて攻め落とすだけの価値がないというのが、 実際のところではないでしょうか。受験生には御利益がありそうですが笑 |
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| ロンコロ城からノヴァーレ城を望む。 | |
| 東側から見上げる。 | |
| タルヴェーラ川に架かる橋から。 | |