| ロンコロ城 (Castel Roncolo) |
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| 別称 : ルンケルシュタイン城 | |
| 分類 : 山城 | |
| 築城者: フリードリヒおよびベーラル・フォン・ヴァンゲン | |
| 交通 : トレント中央駅からバスに乗り、 「Castel Roncolo」下車 |
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| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1237年に、フリードリヒおよびベーラル・フォン・ヴァンゲン兄弟によって築かれた。2人はトレント 司教領主アルデリヒ・フォン・カステルカンポの側近で、13世紀初頭にタルヴェーラ川を北へ遡った ヴァンゲン=ベッレルモント城の城主となったが、奥地にあり不便であったため、ロンコロ城北麓の リート城を購入して移り住んでいた。当時の史料には、城地となった岩山について「ルンケンシュ タイン(Runchenstayn)」と記されている。1274年、城はチロル伯マインハルト2世の軍に攻囲され、 落城した。 1385年、フランツおよびニクラウス・ヴィントラー兄弟がルンケルシュタイン城を取得し、大規模な 改修とフラスコがによる装飾を施した。とくにニクラウスは、ボルツァーノ市政において重要な地位 を占める裕福な市民であった。1490年、城はチロル伯を兼ねる神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世 の手に帰した。 1520年、火薬の爆発により北側の建物が大きく損壊した。1531年に環状城壁が再建されたが、 1538年にはトレント司教領主の家士であったフォン・リヒテンシュタイン=カステルコルン家が城を 手に入れた。1574年にも、同家によってルネッサンス様式への改修が行われている。 1672年、今度は火災によって、東館が焼け落ちた。城はもはや戦略的な重要性を失い、18世紀 には再びトレント司教領主の所有となった。1880年、ハプスブルク=ロートリンゲン家のトスカーナ 大公ヨハン・ザルヴァトールが城を購入し、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に寄贈した。 皇帝はルンケルシュタイン城に関心を示し、1884~88年にかけてウィーンの建築家フリードリヒ・ フォン・シュミットの設計に基づき、大規模な改修工事を実施した。1893年、城はボルツァーノ市に 下賜され、地域を代表する観光スポットとして今日まで親しまれている。 <手記> ボルツァーノ北方の岩山に築かれた山城です。ロンコロ城とはイタリア語読みですが、南チロル はドイツ語優勢の地域なので、会話や現地説明などではドイツ語読みのルンケルシュタイン城も よく通じます。というか、そちらの方がカッコいいですね笑 最終的には19世紀の改修を受けていますが、同時代にメルヘン化された他の諸城とは異なり、 ロマネスク様式のままで保存・修復されているのは嬉しいポイントでしょう。とくに西館には14世紀 のフレスコ画が一部残り、中世の雰囲気を今に伝えています。また2階には、壁にめり込むように トイレがあり、よもやと思って建物の外へ出てみると、そこだけ出窓のように張り出していました。 中世の城では落ちた排泄物を集める係の使用人もいたと話には聞いていましたが、実際に目に してみると「おおぉ…」と言葉に詰まってしまいます。この城の場合は、真下が崖なので掃除係は 不要だったとは思いますが^^; 北側の「夏宮」は、上述の火薬の爆発後に建て直されたものです。東館も火災で被害を受けて おり、城塔を含めておそらく19世紀の建築でしょう。そのほか、城内には井戸や礼拝堂といった 見どころもあります。カフェも併設されているので、城を内から眺めながらビールで乾杯するのも おすすめです。 |
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| 西から見上げる。 右側建物の出窓はトイレ。 |
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| 大手門。 | |
| 堀切越しに入城門を望む。 | |
| 堀底のようす。 | |
| 城塔を見上げる。 | |
| 城内のようす。 | |
| 同上。 | |
| 同上。 | |
| 井戸跡。 | |
| 夏宮外観。 | |
| 西館の「浴場の間」と14世紀のフレスコ画。 裸の人物が描かれていることにちなむ名称で、 実際にお風呂があったわけではないそうです。 |
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| 馬上試合の間。 やはり正面のフレスコ画が部屋名の由来です。 |
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| 西館のトイレ。 | |
| 出窓状に張り出したトイレ。 | |
| 礼拝堂。 | |
| 城塔からボルツァーノ市街を望む。 | |
| 城塔からリート城(ノヴェーレ城)を見下ろす。 | |
| ラーフェンシュタイン城を望む。 | |
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城跡で飲むビールは最高だぜ! |
| ロンコロ城(右)とラーフェンシュタイン城(左)。 | |