小沢城(おざわ)
 別称  : 沼田館
 分類  : 平城
 築城者: 沼田景朝か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR上越線沼田駅よりバス
       「町田公民館」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           応永十二年(1405)、沼田景朝がこの地に城を築き、それまでの居城荘田城
          から移ったとされる。
           万里集九の『梅花無尽蔵』には、長享二年(1488)九月三十日に「沼田館に
          着き鍛冶屋に宿る」と記されている。「沼田館」が小沢城を指すとすれば、同城
          は沼田館とも呼ばれていたことになる。
           景朝から数えて4代目にあたる沼田泰輝は、小沢城の南東に幕岩城を築き、
          居城を移した。その後の小沢城については不明である。


       <手記>
           小沢城は、四釜川とその分流が形成する台地の端に位置し、東辺と南辺が
          河岸となっています。残る北辺と西辺に堀と土塁を設けた崖端の城です。
           現在、城跡は法城院の境内および墓地となっています。堀と土塁は二重に
          設けられていて、かつては双方とも良好に残っていたようですが、今では内側
          のものはほとんど埋められているようです。本丸北西端と東辺の土塁が、部分
          的に取り残されています。
           外側の土塁と空堀は、比較的良好に残存しています。とくに北辺のものは、
          中ほどに折れが付けられているさまがよく分かります。この工夫は、時代的に
          考えて、沼田氏が幕岩城ついで沼田城へ移った後も、一族ないし重臣が小沢
          城に入り増改築が施されたことを示しているように思われます。
           ひとつ疑問に感じるのが、小沢城は荘田城に比べて視界がほとんど開けて
          おらず、移転のメリットがいまいち見えてこないことです。ひとつ推測として考え
          られるのは、小沢城周辺が下沼田地域に属しているということです。沼田氏は、
          かなり初期の段階で下沼田家を分家しており、その入植地は現在の下沼田町
          から善桂寺町にかけてのあたりとされています。すなわち、小沢城は下沼田氏
          の勢力圏のど真ん中に位置していることになり、この地に本家の景朝が居城を
          移したということは、沼田本家が下沼田家を糾合して勢力を拡大したことを意味
          するのではないかな、と直感的にみています。

           
 小沢城址標柱と説明板。
本丸北東隅の土塁。 
 外郭の土塁。
同上。 
 外郭の空堀。
外郭の折れが付けられた空堀。 


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