奴野城(ぬのや)
 別称  : 沼ノ谷城、布屋城
 分類  : 平城
 築城者: 大橋定高か
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄津島線対馬駅徒歩7分


       <沿革>
           元弘二年(1333)、大橋三河守定高(定省・貞高)によって築かれたと伝わる。大橋氏は
          平貞盛の末裔で、肥後国山本郡大橋を本貫とするとされる。南北朝時代に入ると、四家
          や十五党などと呼ばれる津島の南朝勢力の筆頭となった。
           応永三十八年(1424)、後醍醐天皇の孫にあたる尹良親王が信州で自害すると、その
          遺児である良王親王と従者一行が大橋氏を頼り、親王は奴野城を居館としたとされる。
          定高の子信吉は、後に良王親王の子信重を養子に迎えて家督を継がせ、信重は「津島
          大納言」と尊称されたといわれる。ただし、尹良親王自体の実在が一次史料からは確認
          されていない。
           信重の子孫の重一は、美濃国高須城に拠ったとされ、これ以降奴野城の動静は定か
          でない。重一の次代とされる重長は、勝幡城主織田信秀の娘(くらの方)を正室に迎えて
          いる。


       <手記>
           津島神社と津島駅のちょうど間付近にある西方寺周辺が、奴野城跡とされています。
          門前の標柱に奴野城と大橋氏や親王について書かれていますが、境内には城跡を示す
          ようなものはありません。時代を考えれば、要害性までは意識していない館城であった
          と推測されます。

           
 西方寺。
門前の標柱。 
城についても触れられています。 
 おまけ:津島神社。
おまけ2:津島港の天王橋跡。 


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