小浜城(おばま)
 別称  : 雲浜城
 分類  : 平城
 築城者: 京極高次
 遺構  : 石垣
 交通  : JR小浜線小浜駅徒歩20分


       <沿革>
           慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いの戦功により若狭一国を与えられた京極高次は、前領主・
          木下勝俊の居城である後瀬山城に入城した。しかし、同城は戦国時代の若狭守護・武田氏
          から続く中世的な山城であったため、山麓の三角州に新たな近世城郭の築城を計画した。
           普請は翌慶長六年(1601)から始まり、高次の子・忠高の代には大枠が出来上がっていた
          とみられるが、忠高が寛永十一年(1634)に松江へ加増・転封となった時点では天守がまだ
          上がっていなかったとされる。
           代わって老中・酒井忠勝が小浜藩主となり、翌寛永十二年(1635)には三層三階の天守が
          落成した。この天守は江戸城の富士見櫓を模したといわれる。全体が完成するのは、さらに
          下って同十九年(1641)とされる。
           その後、小浜藩酒井家は安房勝山藩や敦賀藩の分知などを経て10万3千石となったが、
          譜代有数の大藩として転封もなく、14代を数えて明治維新を迎えた。


       <手記>
           小浜城は北川と南川に挟まれた小さな三角州を丸ごと取り込んだ平城で、雲浜城の雅称は
          その立地にちなむものと思われます。現状は東辺を除く本丸三方の石垣が残り、郭内は忠勝
          を祀る小濱神社の境内となっています。
           石垣は野面積みを基調とした比較的古い時代の積み方で、寛文二年(1662)に石垣の一部
          が地震で崩れたようですが、忠勝の代に完成してから少なくとも本丸については殆ど手を加え
          られて変わっていないように感じられます。とくに天守台石垣は無骨さと優美さを兼ね備えた
          たいへん立派なものなのですが、周囲を住宅に囲まれているため良いアングルで写真が撮れ
          ないのは残念でした。上述の通り、小浜城天守は現存する江戸城富士見櫓を手本としていた
          ということなので、復元も可能ではないかと思うのですが、周辺の住宅の整理とセットでないと
          難しそうでもあります。
           私が訪れた2024年の末には城内を縦断する2本の橋が両方とも架け替え工事中で、城跡へ
          向かうには川沿いの道をかなり大きく迂回しなければなりませんでした。川に挟まれた堤防上
          のこの道路以外には雲浜地区へ出入りする道が本当に1本もないので、旧城内に住んでいる
          人から見ると、不便というより大雨が降ればあっという間に孤立してしまうのではないかと心配
          になりました。

 現存する中で本丸北東隅の石垣。
 枡形門跡のようです。
小濱神社。 
 境内から見た天守台等の石垣。
天守台付櫓の石垣。 
 付櫓跡から天守台を望む。
天守台のようす。 
 天守および小天守台石垣。
西櫓石垣。 
 本丸西辺石垣を外側から。
天守台石垣を見上げる。 
 同上。
本丸南辺の石垣。 


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