荻野山中陣屋(おぎのやまなか)
 別称  : 荻野山中藩陣屋、山中城
 分類  : 陣屋
 築城者: 大久保教翅
 遺構  : 土堤、水の手、稲荷社
 交通  : 小田急線本厚木駅よりバス
       「山中陣屋跡公園」または「荻野新宿」バス停下車


       <沿革>
           小田原藩主大久保忠朝の次男教寛は、本家から6000石を分知されたのち幕府から
          5000石を加増され、宝永三年(1706)に1万1000石の大名となった。当初の藩庁は、
          駿河国松長村に置かれていた。
           松長藩5代教翅は、天明三年(1783)に陣屋を相模国中荻野山中に移した。陣屋の
          選地に際して、代官三浦彦七は@三町歩(約3ha)ほどの敷地が確保できA利便性が
          よくB水害や崩落のおそれがなくC水の確保が容易な土地を条件に探したとされる。
          翌四年(1784)に陣屋は一応の体裁を整え、教翅が移り住んだ。以後、荻野山中藩は
          3代を数えた。
           慶応三年(1867)十二月十五日、薩摩藩らの浪士隊の襲撃により陣屋は焼失した。


       <手記>
           荻野山中陣屋は、荻野川の河岸が南に突き出た先端にあります。陣屋の西を川が
          洗い、南麓と東麓は深田となっていて、中世であれば城館が築かれていてもおかしく
          ない程度の要害地形です。
           西半分はバイパスによって削られていますが、東南部一帯が「山中陣屋跡史跡公園」
          として整備されています。公園の北端には、鬼門除けに創建された稲荷神社が建って
          います。また、陣屋稲荷の東側の土手を降りたところには、清水と呼ばれる水の手の
          湧水があり、今なお澄んだ水がこんこんと湧き出ています。このほか、公園内に地元
          有志が建てた石碑があります。
           公園にはバイパスから入る駐車場があるのですが、北進方面からは入ることができ
          ません。厚木から車で来た私は、そのため入口がわからず集落内をしばしうろついて
          しまいました。

           
 荻野山中陣屋現況。
 右手後方に陣屋稲荷。手前の畑が御殿跡。
公園内の山中城址の碑。 
 東麓から陣屋土堤を望む。
東麓の水の手。通称「清水」。 


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