田代館(たしろ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : なし | |
交通 : 東武東上線/JR八高線越生駅から バスに乗り、「梅林入口」下車徒歩5分 |
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<沿革> 『日本城郭大系』や『中世城館調査報告書集成』などに記載があるが、詳細は不明 である。 他方、曲直瀬道三の師ともいわれ、「医聖」と称された田代三喜は、越生の出身と される。明治時代に著された『三喜備考』によれば、三喜は伊豆国司田代為綱の9代 子孫田代兼綱の子とされる。田代氏は藤原姓とも中臣姓ともいわれ、兼綱のときに 武蔵国に移り住んだとされる。田代館はこの田代氏の居館とも考えられるが、確証は ない。もし『三喜備考』の記述が正しく、田代館が田代氏の居館であるとするならば、 三喜が寛正六年(1465)の生まれであることから、15世紀中ごろに築かれたものと 推察される。 三喜は明へ渡って医学を修めた後、足利や古河を拠点として医療活動を行ったと される。 天文十三年(1544)に没したが、その後の田代氏については不明である。 <手記> 『集成』の収録図によれば、田代館は上の地図の「田代」と書かれた丘の麓付近に あったとされています。しばらく歩いてみましたが、宅地や畑地となっていて城館跡の 痕跡を見出すのは困難です。1か所だけ、敷地の前が堀になっているお宅がありまし たが、館との関連があるかはわかりません。 また、上の地図に緑点で示した橋のたもとに、「田代三喜の生地」碑があります。 田代館を田代氏の居館とするなら、三喜の生地がすなわち館跡ということになるで しょう。ただし、碑の立つ場所が正確に三喜の生地跡である確証もないと思われる ので、越辺川と2本の支脈に囲まれた田代集落のどこかに、田代氏の館が営まれて いたという以上のことはいえないのでしょう。 |
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比定地周辺のようす。 | |
比定地付近のお宅の前にある堀。 館の遺構かは不明。 |
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「田代三喜の生地」碑。 | |
碑の前を流れる越辺川の支脈。 |