大久保領家遺跡(おおくぼりょうけ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不詳
 遺構  : なし
 交通  : JR京浜東北線北浦和駅よりバス
       「領家」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           発掘調査により、中世の掘立建物跡や堀跡が検出された。周辺は字道場と呼ばれるが、
          城館についての伝承等は残っていない。
           遺跡に北隣する大泉院は春日行光の開基と伝えられ、寺内に行光以下4人の墓がある。
          春日氏は、藤原長良の孫飛騨判官為孝にはじまるとされるが、詳しい系譜は不明である。
          史料上の初出は、足利尊氏に仕えた春日行元で、観応三年(1352)に足立郡内の菅谷、
          野田、中丸に所領を与えられ、中丸城を居城とした。行光は行元から数えて5代目であるが、
          大久保がいつごろ春日氏の所領となったのかは詳らかでない。
           大泉院と春日氏とのつながりや、道場という字名から、大久保領家遺跡は春日氏関連の
          大泉院付属施設とも考えられるが、詳細は不明である。
           なお、行光ははじめ山内上杉顕房、後に北条氏に仕え、最後は太田氏に従ったのか岩槻
          で没している。行光の子景定は、再び北条氏に属し、北条氏滅亡後は一時北条氏房と去就
          と共にし、氏房没後に徳川家康に召し出され、旗本として旧領に復帰した。大泉院に葬られ
          ている行光以外の3人は、景定の子家吉以下の3代である。

       <手記>
           大久保領家遺跡は、大泉院南側一帯にあります。現在は宅地や畑地となっており、遺構
          などは何もありません。
           春日氏との関連についても、現下のところは推測に過ぎません。ただ、足立郡内にかなり
          の勢力をもっていた春日氏が、鴨川ひいては荒川の水運と結びついたこの地に館を営んで
          いても、不思議はないのかなと感じました。

           
 大久保領家遺跡周辺現況。
大泉院の春日氏一族の墓。 


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