大曲城(おおまがり)
 別称  : 土屋館、前田館
 分類  : 平城
 築城者: 前田氏か
 遺構  : 土塁
 交通  : JR奥羽本線/田沢湖線大曲駅徒歩10分


       <沿革>
           安倍氏が築いたとする伝承があるが、信憑性は低い。大曲城主としては前田氏が知られ、
          小野寺氏の庶流とされるが詳細は定かでない。前田氏の大曲城(前田館)は土屋館と同一
          といわれるが、確証はない。
           天文元年(1532)、前田道信は由利党の赤尾津氏・羽川氏との戦いで討ち死にした。天正
          七年(1579)、道信の子・薩摩守は織田信長に鷹を献上し、所領安堵の書状を得たとされる
          (『信長公記』)。同十年(1582)、赤尾津・羽川両氏に急襲され、大曲城は落城して薩摩守の
          弟・五郎が敗死した。
           天正十八年(1590)の奥州仕置において、大曲城は戸沢三十五城の一つとして豊臣秀吉
          から破却を命じられた。慶長七年(1602)に佐竹家が羽後へ移封されると、重臣・梶原政景
          が預かって再興し、後に東家・佐竹義久の子・義賢が在城している。元和の一国一城令に
          より、廃城となった。


       <手記>
           大曲丸の内町の八幡神社および参道が、東西に延びる土塁の跡とされています。東端の
          鳥居から道路を挟んだ東側にも土盛りがあり、土塁の延長と思われます。ただし、この土塁
          1本だけでは規模も縄張りもほとんど分かりません。土塁の南側に曲輪があったとすれば、
          主郭の大部分は丸子川に削られていることになります。
           これだけはっきりと土塁が残っていながら、それ以外は五里霧中というのは、なんとも残念
          かつ不思議でなりません。

           
 八幡神社参道口の鳥居。
参道となっている土塁。 
 参道(土塁上)のようす。
八幡神社。 
 土塁の南側。
土塁の北側。 
 鳥居から道路を挟んだ東側の土盛り。
 土塁の延長か。


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