永田城(ながた)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 永田胤信
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR湖西線近江高島駅徒歩20分


       <沿革>
           佐々木氏一族永田氏の居城である。永田氏は、高島高信の子七郎胤信にはじまるとされる。以降、
          高島七頭の1つとして、高島郡に勢力をもった。
           『淡海温故録』によれば、応仁・文明年間(1467〜87)ごろ、永田氏は東近江に勢力を拡げ、六角
          佐々木氏近習の旗頭を務めたとされる。
           元亀元年(1570)、織田氏と浅井・朝倉両氏との間で起こった坂本合戦で、当時の永田城主永田
          左馬助秀宗は、浅井・朝倉連合軍の先鋒として出撃して討ち死にした。これにより、永田氏は滅んだ
          とされる。その後の永田城については不明である。


       <手記>
           永田集落内の長盛寺周辺を字城出、その北側を「てらかやぶ」と呼び、永田城はその一帯にあった
          ものと考えられています。永田は、東を南北に北国往還(西近江路)が走り、西に進めば朽木谷へと
          至る交通の要衝にあります。
           かつては「てらかやぶ」の周囲に土塁があったということですが、現在集落北側に新道が建設され、
          これによって土塁も失われたのか、見つけることができませんでした。長盛寺の南隣には水路が流れ
          ており、堀の跡と推測されます。

           
 字城出に建つ長盛寺。
長盛寺南隣の水路。堀跡か。 


BACK