山田城(やまだ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 山田氏 | |
遺構 : 堀跡 | |
交通 : JR東海道本線草津駅よりバス 「山田」バス停下車徒歩 |
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<沿革> 山田城は、矢橋・志那と並ぶ琵琶湖の湖港山田港を支配した山田氏の城である。築城は13世紀ごろに 遡るとされる。 永禄十一年(1568)、織田信長が上洛の軍を興して近江に進軍すると、城主山田左衛門尉秀資は信長 に抵抗し、滅ぼされた。その後の山田城主については不明だが、元亀二年(1571)の比叡山焼き討ちに 際して、信長が一時山田城に入城した。廃城時期についても定かでない。 <手記> 山田城は、琵琶湖の旧湖岸沿いに走る浜街道に面して築かれています。現在、城跡には市立武道館が 建設され、遺構は残っていません。建設に先立ち、平成十二年(2000)に発掘調査が行われました。その 結果、山田城は2条の円形の堀に囲まれた、単郭の城であったと推測されています。このうち1条目の堀の すぐ外側を同じように囲む2条目の堀は、戦国期に増設されたものであると考えられています。 円形の縄張りとしてまず思い浮かぶのは駿河田中城でしょう。しかし、山田城が13世紀の築城当初から 円形であったとすると、田中城に先立つこと300年ほど前ということになります。この点、非常に貴重な城跡 であるといえるでしょう。 |
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市立武道館と山田城址説明板。 | |
山田城址のようす(市立武道館)。 |