大森氏陣屋(おおもりし) | |
別称 : 大森錦治郎館、大森陣屋 | |
分類 : 陣屋 | |
築城者: 大森好長 | |
遺構 : 土塁、宝篋印塔 | |
交通 : 西武池袋線武蔵藤沢駅からバスに乗り、 「大森会館前」下車徒歩1分 |
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<沿革> 元和二年(1616)、旗本大森半七郎好長は大坂の陣での功により武蔵国高麗郡に 200石を加増された。大森氏の陣屋はこのときに築かれたとみられるが、詳細は定か でない。大森氏は好長の2代前の大森親好が松平清康に仕えたことに始まり、小身 ではあるが譜代の家柄であった。好長はその後も漸次加増され、最終的に1400石 まで禄を増やした。 大森氏は大身旗本として続き、好長の3代後には長崎奉行大森山城守時長を輩出 している。 <手記> 大森会館の北の林の中に、大森氏と加藤氏の宝篋印塔群があり、大森氏の陣屋 はその近くにあったとみられています。加藤氏というのは好長の妻の実家で、義父の 加藤重正と、重正の養子で好長次男の重長およびその妻のものを指します。 宝篋印塔の裏手には、L字型に細く低い土塁があります。宝篋印塔は好長が建立 した菩提寺崇巖寺の跡に残るものとされ、なべてL字の内側に並んでいることから、 この土塁は陣屋ではなく寺のものと考えるのが妥当でしょう。とはいえ、現地に残る 陣屋のよすがとしては、宝篋印塔と合わせて貴重な遺物であるといえます。 ちなみに、『日本城郭大系』や『中世城館調査報告書集成』では「大森錦治郎館」 としていますが、好長はじめ大森氏累代の通称は「半七郎」のようで、「錦治郎」の 由来については個人的に謎として残っています。 |
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大森氏・加藤氏の宝篋印塔と説明板。 | |
宝篋印塔裏の土塁。 | |
L字型土塁の角。 |