大鹿城(おおしか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 大鹿氏
 遺構  : なし
 交通  : JR常磐線/関東鉄道常総線取手駅徒歩10分


       <沿革>
           大鹿氏の居城とされる。大鹿氏は鎌倉時代から当地にあったとされるが、その出自や動向
          など詳しいことは分かっていない。
           永禄年間(1558〜70)、大鹿太郎左衛門が城主のころ、小文間城主一色宮内少輔政良に
          攻め滅ぼされたとされる。蔵重一彦『伝説の花輪城再発見』によれば、大鹿落城は永禄四年
          (1561)のこととされるが、典拠は不明である。


       <手記>
           現在競輪場となっている丘陵一帯が、大鹿城址とされています。ただし、建設前まで遺構
          が残っていたとされる本丸は、競輪場南西麓の十字路付近にフック状に突出していたとされ、
          今では丘ごと消滅しているようです。競輪場北側の駐車場付近が大手とされ、それなりに
          広い城域を有していたことが拝察されますが、いずれにせよ今では痕跡どころか雰囲気を
          感じるだけでも困難です。
           この日は私の訪城ではたいへん珍しく、激しい降雨に見舞われたため、写真も踏査もそこ
          そこに、ご一緒していた城仲間たちと雨宿りできる休息場所を探しに丘を下りたのでした。
           ちなみに、大鹿の読みが「おおしか」で良いのかどうか、裏はとれていません^^;

           

大鹿城址現況(駐車場付近。かつての大手あたり)


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