大津陣屋(おおつ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 松平斉典
 遺構  : なし
 交通  : 京急久里浜線新大津駅下車


       <沿革>
           天保十四年(1843)、幕命を受けた川越藩主松平斉典によって、海防陣屋として築かれた。
          弘化四年(1847)には、江戸湾開口部沿岸警備を命じられた忍藩主奥平松平忠国が、大津
          陣屋を預かった。この前年には、ペリー艦隊が浦賀に来航している。
           その後、嘉永六年(1853)からは熊本藩主細川斉護が、文久三年(1863)からは佐倉藩主
          堀田正倫が陣屋を引き継いだ。慶応三年(1867)には、浦賀代官所預かりとなり、幕府直轄
          となった。
           明治元年(1868)、明治維新により陣屋は役目を終え、取り壊された。

       <手記>
           大津陣屋は、現在の県立大津高校から大津公園グラウンドにかけての一帯にあったとされ
          ています。多いときで1500人ほどの兵員が詰めていたとされ、かなりの規模を有していたと
          みられます。
           現在、一帯はすっかり開発され、遺構はほぼ消滅しています。唯一の遺構とされる石橋が
          大津中学校正門前に移設されているそうです。説明板もここにあるそうですが、事後に得た
          情報のため、訪れずじまいでした。大津公園入り口付近に、古道に関する説明板がありまし
          たが、こちらには陣屋については何も書かれていません。
           一応、陣屋跡付近には、走水から対岸の上総・安房へ船で渡るルートをとっていたころの
          古代東海道が通過していたとされています。また、江戸中期ごろから貿易港として発展した
          浦賀へ向かう浦賀道も、ここを通っていました。そのような幹線上だったからこそ、ここに陣屋
          が築かれたのだということが分かります。
           
 県立大津高校。
大津公園。 
 


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