小島陣屋(おじま)
 別称  : なし
 分類  : 陣屋
 築城者: 松平信治
 遺構  : 書院、石垣
 交通  : JR東海道本線興津駅からバスに乗り、
      「小島南」下車徒歩5分


       <沿革>
           篠山藩主・形原松平典信の庶長子・信孝は、旗本・松平重信の養嗣子となった後に加増を
          重ね、元禄二年(1689)に計1万石の大名に列した。しかし翌三年(1690)に没し、甥の信治が
          跡を継いで小島に陣屋を設けた。重信は信孝の大叔父にあたるが、松平正勝の養子となって
          いた。正勝は滝脇松平家とされるが、嫡流は滝脇陣屋にわずか600石を与えられたのみで、
          正勝以前の系譜は明らかでない。
           陣屋は宝永元年(1704)に完成し、同年に信治が初めて参勤交代を行ったとされる。藩財政
          は当初から厳しく、興津川沿いでは新規産業として駿河半紙が作られるようになり、9代藩主・
          信進の代には専売制としてある程度の成功を収めた。ちなみに、江戸の浮世絵師・恋川春町
          は小島藩の家臣で本名を倉橋格といい、最終的には120石の藩年寄(家老)となっている。
           明治元年(1868)に徳川宗家が駿府へ移されると、11代藩主・信敏は上総国に替地を与え
          られ、小島陣屋は廃止となった。


       <手記>
           小島陣屋は、興津川中流の小島町を見下ろす高台に設けられています。三方を谷川が巡る
          舌状地形を利用し、石垣や削平地群に囲まれるなど一見すると城郭風に見えますが、堀など
          は設けられておらず、やはりあくまでも陣屋造りであるといえます。周辺は静かな谷間の集落
          といった感じですが、当時は東海道興津宿から甲斐へ向かう身延道の街道筋でした。
           2006年に国の史跡に指定され、2024年には公会堂として別の場所で利用されていた御殿
          書院が郭内に移築・復元されています。書院は土日祝日のみ開放されるようで、残念ながら
          私が訪れたときは平日でした。
           陣屋周辺には石垣が多く残っているものの、史跡指定される前はミカン畑や茶畑として利用
          されていたようで、陣屋のものではなさそうな石積みも散見されます。また、間違いなく陣屋の
          石垣と思われる部分でも、不自然な落とし積みになっている箇所が多く、後世に積み直された
          ものと推察されます。
           そうしたこともあってか、石垣にブルーシートが架けられているところもあり、また郭内も書院
          の他は何もなく荒涼としていました。工事関係とみられる人や車が出入りしていたので、史跡
          公園としての整備はまだ始まったばかりなのかもしれません。

           
 再移築された御殿書院。
同上。 
 郭内のようす。
大手門跡。 
 陣屋跡からの眺望。
大手前の石垣。 
 大手道のようす。
 段築石塁は後世の造作か。
大手下の石垣。 
 表門枡形跡。
表門前の馬場跡。 
 陣屋西側の削平地群と石垣。
 陣屋の遺構かは不明です。
同上。 
 陣屋裏手の削平地群と石垣。
郭内北西隅の稲荷跡。 
 裏門跡。


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