岡津古久城(おかつこく)
 別称  : 岡津古久城山
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、堀、土塁跡
 交通  : 小田急線本厚木駅よりバス
       「小野宮前」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           城主や歴史について一切不明な城である。『日本城郭大系』では、室町時代の
          小豪族の城館と推測しているが、根拠は不明である。岡津古久の北隣には小野
          という地名があり、ここの小野神社にはお決まりの小野小町伝説が伝わっている。
          あるいは、小野氏後裔を称する横山党との関連も指摘できるかもしれない。
           永禄二年(1559)成立の『小田原衆所領役帳』によれば、秩父次郎左衛門が
          「中郡 津古久」に128貫文余を領していたとある。あるいは秩父氏の居所とみる
          こともできるが、中郡で「津古久」とつく地名には岡津古久の他に下津古久(今の
          厚木市下津古久)があり、どちらを指しているかのは定かでない。秩父次郎左衛門
          については、御旗本四十八番将の1人とされる。

       <手記>
           岡津古久城は玉川の支脈が形成する複雑な谷戸地形の一画にあり、丘陵から
          舌状に延びた台地先端に位置しています。三方が傾斜となっていて、南西のみ
          地続きです。城山の先端はフック状に折れ曲がっていて、遺構はこの屈曲部を
          中心にみられます。
           城跡へは城山先端下にある祠の脇から登るのですが、大事な注意点として、
          城山をはじめ登城口も民家の敷地内にあります。私が訪れた時にはお庭に住民
          の方がおられて、お願いしたところ快く登らせていただけました。
           城はフックの折れ目のあたりを最上段とし、北東先端に向かって3段の腰曲輪
          を設けています。最上段南には堀切があるとのことでしたが、ブッシュや倒木が
          ひどくて見つけることができませんでした。最上段と第二段との間はさほど段差
          がなく、むしろ空堀と土塁で区切られていた痕跡があります。第二段の下には、
          ごく小規模な腰曲輪が2つ続いて麓に達します。
           城山の所有者のお宅は、城山の峰に三方を囲まれた典型的な館地形といえ
          ます。おそらくここに居館があり、館背後の山に簡単な詰城が築かれたもので
          しょう。時代を室町時代に限定するのは早計と思いますが、遅くとも戦国時代
          後期には廃されていたものと推測されます。

           
 岡津古久城山遠望。
最上段のようす。 
 最上段と第二段の間の土塁と堀跡。
第三段のようす。 
 第三段から第四段を望む。


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