恩馬城(おんま) | |
別称 : 恩馬館、遠馬城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 恩馬時国 | |
遺構 : なし | |
交通 : 小田急線海老名駅よりバス。「農大前」バス停下車徒歩5分 | |
<沿革> 渋谷庄司重国の三男三郎時国は、恩馬郷に居を構え恩馬氏を称した。文治五年 (1189)の奥州征伐に時国が参加したことが、『吾妻鏡』の記述にみられる。時国の 子は重連とされているが、その後の恩馬氏について詳細は不明である。 近世恩馬郷の有力者であった恩馬七人衆の1人小沢氏は、恩馬氏の後裔と伝え られている。 <手記> 目久尻川と相模川の間の丘陵の、最も高くなったあたりが恩馬城の跡とされてい ます。城地周辺はかながわ農業アカデミーの敷地となっていて、畑や牧舎が立ち 並んでいます。したがって、遺構の確認は困難といえます。 アカデミーを東西に抜ける細い坂道は「かぶき場の坂」と呼ばれていて、標柱が 立っています。その説明によれば、「かぶき」とは「傾き」、すなわち傾斜を意味する ものとされています。ただしここが恩馬城址とすると、「冠木」すなわち冠木門を意味 するとも推測されます。とすれば、「かぶき場」とは城門、とくに大手へつながる登城 路の坂を指すものとも考えられます。 |
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恩馬城址遠望。 | |
恩馬城址へ向かう「かぶき場の坂」。 |