小野陣屋(おの)
 別称  : なし
 分類  : 陣屋
 築城者: 一柳直次
 遺構  : なし
 交通  : 神戸電鉄粟生線小野駅徒歩1分


       <沿革>
           寛永十九年(1642)、川之江藩2万8000石の藩主・一柳直家が急死すると、その娘婿として
          園部藩主小出吉親の次男・直次が急遽、養子に迎えられた。しかし、当時はまだ末期養子が
          認められていなかったため、伊予の所領は収公されて播磨国加東郡内1万石のみの相続が
          許された。
           播磨の領内にはもともと飛び地支配のための敷地陣屋があったが、1万石とはいえ藩主の
          御座所としては手狭であったため、承応二年(1653)までに新しく小野陣屋が建造された。
          小野藩は直次以降10代を数え、明治維新を迎えた。


       <手記>
           小野陣屋は南東麓に連続した3つの池をもち、西麓を大島川が流れる舌状の台地先端部に
          築かれています。中世城館があってもおかしくない要害地形ですが、陣屋なので防御設備は
          とくに設けられていなかったようです。
           陣屋跡は小野小学校となっており、遺構はありません。学校の旧講堂が好古館という歴史
          資料館として整備され、その隣には一柳家の氏神とされる磐代神社が建っています。

 陣屋跡石碑。
陣屋見取り図。 
 磐代神社。


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