大和城(おわ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 大和氏
 遺構  : 曲輪跡、土塁、堀
 交通  : JR中央本線上諏訪駅よりバス
       「大和下」バス停下車徒歩15分


       <沿革>
           諏訪大社下社大祝金刺氏の支族大和氏の城である。文明元年(1469)以降の築城といわれるが、
          正確な築城年は不明である。城主として大和監物の名が伝わっている。
           大和氏は、天文十一年(1542)の武田晴信の諏訪侵攻の後、筑摩郡へ逃れたとされる。その後の
          大和城については詳らかでない。

       <手記>
           大和城は、諏訪湖東岸にせり出した急峻な峰のピークに築かれています。諏訪市と下諏訪町の丁度
          境に位置していますが、登城口が諏訪市側にあるので諏訪市の項目に入れています。
           諏訪市側の南西麓に説明板があり、城へはその奥から尾根伝いに登って行きます。大和城は、単郭
          に近い城で、高い切岸と土塁に囲まれた主郭とその背後の2条の堀切とから成っています。主郭背後
          堀切の間は、曲輪のように見えなくもないのですが、削平は不完全です。また、南西から北西にかけて
          の斜面には、腰曲輪とも思われる削平地が無数にあります。余りに数多くならんでいるので、ほとんど
          は林業にともなって作業用に形成されたものと拝察されます。中には本当に曲輪跡であるものもあるの
          でしょうが、その判別はつけがたい状況です。説明板によれば、主郭から600mほど東にも堀切がある
          ということですが、道なく藪深い尾根だったのであきらめました。

           
 大和城址遠望(中央のこんもりした山)。
 手前は諏訪信州そばの有名店「そば蔵」。
大和城址説明板。 
 主郭のようす。
 奥に土塁が見えます。
主郭背後の切岸と堀切。 
右手は腰曲輪のようにもみえます。 
 東端の2条目の堀切。


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