小山城(おやま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、堀跡、土橋跡
 交通  : 京王相模原線多摩境駅徒歩5分


       <沿革>
           横山党の庶流の小山太郎有高がこの地に館を営んでいたとされる。有高は鎌倉時代初期の人物で、
          源頼朝に従い、鎌倉幕府創設に寄与したとされる。建暦三年(1213)の和田合戦で、横山一族ととも
          に和田氏に与し、有高は敗れて討ち死にしたといわれる。有高の居館は福生寺の裏山にあったと伝わ
          るが、現地に遺構らしきものは見つかっていない。
           近年、多摩ニュータウン開発に先立つ発掘調査により、多摩境駅東方300mほどのところから、中世
          城郭の遺構と思われる堀跡や土塁跡等が検出された。上の地図に示したのはこの遺跡の位置である。
          この多摩ニュータウン211号遺跡は、便宜上小山城と仮称されるが、文献には現れない謎の城である。
          発掘調査によると、主郭とそれを取り巻く曲輪の最低2郭からなっていた。堀は横矢がかかるよう折れ
          ており、中世後半の城郭跡と考えられている。また、城域の広さに比して建物跡がほとんど見られない
          ことから、途中で築城が中止され打ち捨てられたものと推測されている。


       <手記>
           上記の通り、現在小山城と呼ばれるものには、小山有高の館跡と多摩ニュータウン計画によって発見
          された211号遺跡の2つがあります。211号遺跡については、縄張りが明らかに鎌倉時代の城とはかけ
          離れていることやその立地から、小山有高の館とは別物と考えられています。
           有高の館があったと伝わる福生寺裏山は、上の地図でいうと太字の小山町の「山」の字の辺りですが、
          ここはぎりぎりニュータウン計画から外れているため、簡単には発掘調査はできないものと思われます。
          個人的には、地形上から鑑みてむしろ現在福生寺の墓地となっている福生寺北東の谷間か、札次神社
          のある多摩境駅南側の谷あいに、小山有高の館があったのではないかと推測しています。
           そして謎の211号遺跡は、小山田から相原を通って八王子に抜ける街道筋にあります。古地図と照らし
          合わせると、南向きに並んでいる峰の1つを利用したもののようです。相模原台地と大栗川流域をつなぐ
          峠道を押さえる目的の城と思われますが、周囲に似たような峰がいくつもあるなかで、ここが選ばれた
          理由はちょっと想像がつきかねます。
           今は多摩ニュータウン計画によって山は崩され谷は埋められ、完全に均されています。遺構は山ごと
          消滅しているうえ、現地に説明板などはなにもありません。

           


小山城址周辺現況。


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