ラッパースヴィル城
(Schloss Rapperswil)
 別称  : ノイラッパースヴィル城
 分類  : 平山城(Höhenburg)
 築城者: ラッパースヴィル伯
 交通  : ラッパースヴィル駅から徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           13世紀前葉に、ラッパースヴィル伯によって築かれた。ラッパースヴィル家は1114年に
          アインジーデルン修道院の代官として初めて名が見え、チューリッヒ湖のオーバーゼーの
          南岸に居城(アルトラッパースヴィル城)を構えていた。しかし、1192年にルドルフ2世が
          嗣子なく没すると、家名断絶の危機を迎え、後継者争いを生じた。経緯は不明だが、対岸
          に新たな根拠地の建設を企図した一族ないし血縁者が紛争の末にラッパースヴィル家の
          名跡を継承し、ルドルフ3世の代の1233年までに、今日のラッパースヴィル城が築かれた
          と考えられている。そのため、ルドルフ2世以前を古ラッパースヴィル家、チューリッヒ湖の
          北岸へ移って以降を新ラッパースヴィル家とも呼ぶ。湖の南岸の旧ラッパースヴィルは、
          アルテスドルフ(古村の意。今日のアルテンドルフ)と改名された。
           1283年にルドルフ5世が死去すると、ラッパースヴィル伯は無嗣断絶した。ルドルフ5世
          の妹エリザベートはホームベルク伯ルートヴィヒ1世と結婚していたが、彼の死後、1289年
          にハプスブルク=ラウフェンブルク伯ルドルフ3世と再婚し、ラッパースヴィル家の遺領は
          両夫の子で分割された。
           1336年、チューリッヒで騎士ルドルフ・ブルンを首魁とする反乱が発生すると、追放された
          市議会議員らがラッパースヴィルへ逃れ、ハプスブルク=ラウフェンブルク伯ヨハン1世の
          庇護の下で亡命政府を樹立した。ヨハン1世は翌年にグリュナウの戦いで討ち死にしたが、
          跡を継いだヨハン2世は亡命政府と共に、1350年に「チューリッヒ暗殺の夜」を計画した。
          しかし、謀略は失敗に終わってヨハン2世は捕えられ、激怒したブルンらは軍勢を率いて
          真冬のラッパースヴィルを占領し、城と町を徹底的に破壊した。ヨハン2世は釈放された
          ものの、自力で復興させる経済的余裕がなく、1354年にラッパースヴィルをオーストリア公
          アルブレヒト2世に売却しました。
           アルブレヒト2世はヘルマン・フォン・ランデンベルクを城代として派遣し、城と町を再建
          させた。このとき、今日に見る三角形の主郭に改められ、城と町の間に3つの地下通路が
          設けられたとされる。1378年には、トッゲンブルク伯へ抵当として譲り渡された。
           1388年、ネーフェルスの戦いでハプスブルク軍を破ったスイス原初同盟軍がラッパース
          ヴィルを包囲したが、陥落は免れた。1415年、ラッパースヴィルは帝国自由都市に昇格し、
          1442年には市が独自の城代をラッパースヴィル城に置くことが許された。ラッパースヴィル
          は1443年と1445年にもスイス軍に攻められて大きな被害を受け、1464年に至ってスイス
          連邦に加盟した。
           カトリック派とプロテスタント派の内戦である第一次フィルメルゲン戦争が1656年に勃発
          すると、ラッパースヴィルはルドルフ・ヴェルトミュラー将軍に包囲されたが、持ち堪えた。
          しかし、1712年の第二次フィルメルゲン戦争では、ベルトとチューリッヒの軍勢に降伏して
          いる。
           その後も、1798年にフランスの影響下でヘルヴェティア共和国が建国されるまで、連邦
          から城代が派遣されていた。19世紀に入ると刑務所や劇場などとして使用され、1869年
          にポーランド国立博物館が開設された。戦後にスイス城博物館などとなっていた時期を
          挟み、1975年に3度目となるポーランド博物館がポーランド移民らによって設立されたが、
          2022年に閉館となり、ラッパースヴィル城の用途は議論のさなかとなっている。


      <手記>
           ラッパースヴィルはチューリッヒ湖南東部に突き出た岬の町です。対岸からはフルデン
          半島という洲浜が延びていて、湖がちょうどすぼまったところに堰と道路および線路が設け
          られています。堰を境に上流側をオーバーゼー(上湖)、下流側をウンターゼー(下湖)とも
          呼びます。オーバーゼーはウンターゼーの4分の1ほどしかなく、またウンターゼーの大部分
          がチューリッヒ州に属するのに対し、ラッパースヴィルはザンクト・ガレン州に、古ラッパース
          ヴィル城のあったアルテンドルフはシュヴィーツ州に所属しています。
           湖の出口のチューリッヒに対し、ラッパースヴィルはオーバー湖側の中心都市で、観光や
          リゾートの街として発展しているようです。城山は展望スポットでもあり、周辺にはたくさんの
          ボートやヨットが停泊しています。私はラッパースヴィルの近郊に住む友人夫婦に合うのが
          目的で、彼らと駅前で待ち合わせして旧市街を散策しました。城の建物には入らなかった
          ので、三角形をしているというのは気付かず。同様の構造はスロベニアのザプリツェ城でも
          みられますが、両者は時代が異なっているので単純なトレンドとはいえません。防衛上は
          何のメリットもないように思われるものの、三角形の縄張りにどんな意味があるのか私には
          謎で仕方ありません。
           城山の斜面では鹿が飼われているほか、南麓にはバラ園があり観光スポットとなっている
          ようです。ラッパースヴィル家の紋章は3本のバラだったらしいので、それにもちなんでいる
          のでしょう。バラ園西側にはエンディンガー塔という城塔および城壁も残っています。
           ダムを渡る道路や線路に並行して歩行者用の木道も設置されており、ラッパースヴィル城
          を眺めながら気持ちの良い散策も楽しめます。チューリッヒから快速列車で40分程度なので、
          観光に余裕があれば訪れてみて損はないでしょう。

           
 旧市街からラッパースヴィル城を見上げる。
城門跡か。 
 宮殿東側の城壁。
東側の聖ヨハン教会に付属する礼拝堂。 
 礼拝堂内部。
西側から宮殿を見上げる。 
 北麓の城壁を望む。
城山北側斜面でくつろぐ鹿。 
 城山から旧市街を俯瞰。
城山先端からの眺望。 
 城山から堰を望む。
城山北西麓の門跡。 
 城山先端下の城壁。
城山南麓のバラ園。 
 バラ園とエンディンガー塔。
堰に並行する歩行者用木道。 
 木道からの景色。
 左手にラッパースヴィル城が見えます。


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