ラウエネック城
( Burgruine Rauheneck )
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: ハルトゥング・フォン・ルーエネッケか
 交通  : バーデン駅よりバス(ルートA)
       「ヴァイルブルガープラッツ」バス停下車徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1137年の土地台帳(Salbuch)に、ラウエネック城主として「ハルトゥング・フォン・ルーエネッケ
          (Hartung von Ruhenekke)」ないし「ハルトゥンク・ド・ローエネック(Hartunc de Rauhenekk)」
          の名が見られるのが初出とされる。その後、帝国騎士の系譜のラウエネッカー家により城下の
          開発が進められた。13世紀に入ると、ラウエネッカー家は「巨大な」という意味の「トゥルゼン
          (Tursen)」を姓に加えるようになり、トゥルゼン・フォン・ラウエネッカー家ないし単にトゥルゼン家
          と称した。
           1384年にトゥルゼン家は無嗣断絶し、ラウエネック城はヴァルゼー家の所有となった。15世紀
          初頭、幼いオーストリア大公アルブレヒト5世の後見を巡ってハプスブルク家の内オーストリア公
          レオポルト3世の子レオポルト4世とエルンストの兄弟が争うと、当時の城主ラインプレヒト・フォン・
          ヴァルゼーはエルンストに与した。そのため、1408年にレオポルト4世はメートリンクの諸城主に
          ラウエネック城の制圧を命じた。1410年にハンガリー王ジギスムントが神聖ローマ皇帝に即位
          すると、その命によりラウエネック城はヴァルゼー家に返還された。
           1461年、城はフス派によって破壊され、1463年には傭兵隊長フランツ・フォン・ハーグが策略
          によって城を奪った。フランツは翌年に盗賊団の頭目として処刑され、城の動向は一時不明と
          なる。1477年には、ハンガリー王マーチャーシュ1世麾下のセルビア人部隊により、城は再び
          破壊された。1483年にはヴァルゼー家も無嗣断絶となり、城はオーストリア大公国の所有財と
          されたが、1529年の第一次ウィーン包囲までには完全な廃墟となった。
           1583年、ゲオルク・ザウラー・フォン・ザウアーブルクが城跡を購入し、その後クヴァリエント家
          の手に渡った。1810年に所有権を得たドブルホーフ男爵家は、城跡を一般に開放した。1871年
          には、山麓のヴァイルブルク宮殿の所有者であったオーストリア大公(テシェン公)アルブレヒト
          が購入したが、その後も公開と保存の努力は続けられた。1961年にバーデン市が城跡を城山
          ごと買い入れ、現在に至っている。

       <手記>
           ラウエネック城は、ウィーン郊外の保養地バーデンの西方背後にあります。シュヴェヒャート川
          の開口部に臨む尾根の上にあり、川を西へ遡るとウィーンの森を抜けてザンクト・ペルテルンに
          通じるため、街道筋の城として重要だったようです。
           バーデン駅から山麓までバスがあるようですが、おそらく本数は少ないでしょう。バーデンには
          ベートーヴェンの散歩道と呼ばれる散策路があちこちに通じているので、少し時間はかかります
          が、歩いても来られないことはありません。私は市街中心の観光案内所で自転車を借りました。
           登山口には説明板が設置されています。そのうちの1つは、1817年にテシェン公アルブレヒト
          の父のカール大公ことカール・フォン・エスターライヒ=テシェンが造営したヴァイルブルク宮殿
          のものです。宮殿は登山口の目の前にありましたが、現在はきれいに住宅地になっていて何も
          残っていません。
           そこからは、それほど険しくはない山道を登り、10分足らずで城跡へ到着します。地元にとって
          は手ごろな散策路らしく、2組ほど山歩きの人たちとすれ違いました。もちろん観光客はまったく
          いませんでした。
           城は峰の付け根を堀切で断ち切り、3段ほどの曲輪が連郭状に連なっています。一番の特徴
          は主塔が三角形をしていることです。説明板には土地が狭いためとありましたが、もっと急峻な
          地形に築かれた城はいくらでもあるので、実際のところ理由は不明です。塔内に入れば、形が
          よくわかるのですが、城内は樹木が生い茂っていて見通しがきかず、外観から判別するのは
          やや困難です。Googleの航空写真などを見れば、正三角形に近い見事な鋭角二等辺三角形
          をしていることがわかるでしょう。
           塔内の階段で最上階まで登ることができ、そこからはバーデンの素晴らしい景色が望めます。
          川向うにはラウエンシュタイン城がおとぎ話の古城のように建っているので、こちらも見どころの
          1つです。
           さて、ラウエネック城にはヨーロッパ大陸では珍しい人魂伝説があります。いわく、かつて塔の
          中から松の木が生え、大晦日の晩にトゥルゼン家の霊がその周りを揺らめいていたとか。しかし
          松は100年ほど前に嵐で倒れてしまい、それ以来火の玉は現れなくなり、今も城内をさまよって
          いるのだろうということです。運よくこの話は帰り道で読んだのですが、先に知っていたら塔の中
          は明かりもなくかなり暗かったので、だいぶ怖かったと思います(笑)
           
 堀切越しに臨む主塔。
 三角形の塔の角が見えます。
城内のようす。 
 城内の門。
主塔を見上げる。 
 塔内の階段。
主塔屋上からの眺望。 
 主塔からラウエンシュタイン城を望む。
城内のようす、その2。 
 峰の付け根側。堀跡か。
登山道から外套城壁を見上げる。 
 登山口のヴァイルブルク宮殿跡のモニュメント。


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