六萬寺陣所(ろくまんじ)
 別称  : なし
 分類  : 寺院
 築城者: 長宗我部元親
 遺構  : なし
 交通  : 琴電志度線六万寺駅徒歩10分


       <沿革>
           六萬寺は天平年間(729〜749)に建立され、聖武天皇が勅額を下賜した国豊寺を前身とし、宝亀
          年間(770〜780)に6万戸の領民が1体ずつ小仏像を奉納したことから、その名が生じたと伝わる。
          寿永二年(1183)に安徳天皇が屋島へ遷ったときには、行宮が完成するまでの行在所となった。
           天正十一年(1583)、土佐の長宗我部元親が中村恒頼の八栗城を攻めた際、六萬寺はその陣所
          に取り立てられた。元親は数珠掛久重に1千の兵を与えて城攻めを敢行させたが、久重は討ち死に
          して失敗に終わった。翌十二年(1584)までに、恒頼(宗卜)は城を焼いて備前へ落ち延びている。
          寺の縁起によれば、元親は八栗城攻めの年に六萬寺を参詣し、源平合戦にまつわる品々を閲して
          感動し、配下へ粗略に扱わないよう言い聞かせたうえで翌日出発した。しかし、ほどなく元親家臣・
          桑名太郎左衛門(親光か)の失火により伽藍のほとんどが焼け落ちてしまったとされる。


       <手記>
           六萬寺は八栗山南麓の裾野にあり、凄く大きいわけではありませんが、十分に由緒を感じさせる
          寺院です。門前には梅林があり、私が訪れたときはちょうど花が開き始めたころだったようで庭師の
          方がお手入れをしておられました。
           城館跡としては元親が一時的に陣所としただけなので、とりたてて遺構らしきものはありません。

           
 六萬寺と梅林。
本堂。 
 門前の「源平屋島合戦古戦場」碑。
 ただし戦場となったわけではありません。
縁起を記した説明板。 


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