八栗城(やくり)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 中村恒頼
 遺構  : 石塁、堀跡か
 交通  : 八栗ケーブル八栗山上駅徒歩5分


       <沿革>
           火災によって天正八年(1580)に居城の田井城を焼失した中村恒頼(宗卜)は、土佐の長宗我部
          元親の脅威が迫っていることもあり、八栗山の要害に新たな居城を築いた。同十年(1582)、元親
          は数珠掛孫兵衛久重に1千の兵を与えて八栗城を攻めさせたが、城の守りは堅く一度は撃退され、
          久重は討ち死にした。
           しかし、元親の攻勢の前に趨勢覆しがたいとみた宗卜は、翌天正十一年(1583)までの間に城を
          棄てて備前へ奔ったとされる。また一連の戦いで、八栗寺の本堂をはじめとする伽藍も焼亡した。


       <手記>
           八栗山は屋島のひとつ東側に屹立する岩山で、その中腹に四国八十八箇所の第八十五番札所
          である八栗寺があります。八栗城はその本堂境内前方の細尾根を利用して築かれ、お迎え大師の
          手前にある墓地が本丸跡とされているそうです。八栗寺とは一体不可分といった構造で、元親勢に
          寺も焼かれたというのも、八栗寺が築城から防戦まで中村氏を支援していたからと考えるのが自然
          でしょう。
           城内には土産店などが建ち並んでいて、城の痕跡を見つけるのは困難です。ただ、両側の斜面は
          切岸状の急崖に仕立てられ、一部に現状の建物とは無関係とみられる石積みもありました。また、
          二天門付近には凹地形をコンクリートで埋めた箇所や竪堀状地形も見受けられ、城のものとすれば
          とみに貴重な遺構といえるでしょう。
           ちなみに、八栗寺へは車かケーブルカーで行くことができます。駐車場の料金よりケーブルカーの
          運賃の往復方がいささか高いものの、せっかくのなので麓の駅前に車を止めてケーブルカーで参拝
          しました。窓口や乗員として働いている人たちが随分若いなぁという印象で、この辺りは四国八十八
          箇所のブランド力たるやといったところでしょうか笑

           
 八栗ケーブル山麓駅付近から八栗山を見上げる。
八栗寺本堂境内と八栗山。 
 本丸付近のようす。
お迎え大師。 
 お迎え大師からの眺望。
お迎え大師から城内側を俯瞰。 
 切岸状の斜面。
石塁跡か。 
 堀切跡か。
その脇の竪堀状地形。 
 おまけ:八栗ケーブルカー


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