湊城(みなと)
 別称  : 湊館、湊番所
 分類  : 平城
 築城者: 渋谷十郎か
 遺構  : なし
 交通  : 両津港より徒歩5分


       <沿革>
           天保七年(1836)刊行の『越湖勝覧』に、「渋谷十郎城跡」が描かれている。佐渡
          渋谷氏は、秩父平氏流渋谷氏の一族とされ、鎌倉時代に佐渡国加茂郡の地頭職
          を得たとみられているが詳しい系譜は定かでない。渋谷十郎を称した人物としては
          加茂城主の渋谷十郎左衛門尉真清がいるが、湊城との関連は不明である。
           慶長八年(1608)に大久保長安が佐渡代官となると、その娘婿で服部半蔵正成
          の次男にあたる服部伊豆守正重が、金山同心として湊の城山に入った。同十八年
          (1613)に長安が病死して大久保長安事件が発生すると、正重は直接連座はしな
          かったものの、同年中に別件で改易となった。これにより湊番所も廃されたものと
          みられ、前出の『越湖勝覧』では旧跡となっている。


       <手記>
           両津港のフェリー乗下船口脇に件の『越湖勝覧』の大きなパネルがあり、そこに
          渋谷十郎城跡が記載されています。その場所は、両津橋から1ブロック南、勝廣寺
          の西向かいにあたり、現在の佐渡市役所両津支所および佐渡島開発総合センター
          付近のようです。城山ということから、かつては丘だったとも推察されますが、今は
          真っ平らで城館跡を示すようなものもありません。
           ちなみに両津橋の北側は、かつては夷と呼ばれ、両津の地名は夷と湊の2つの
          港の総称として定着したものです。廻船が発達するまで、外港としては重視されて
          いなかったと思いますが、加茂郡内では重要な港として、城館が置かれたとしても
          不思議ではないでしょう。

           
 湊城跡現況。
『越湖勝覧』に描かれた「渋谷十郎城跡」。 


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