鯖江陣屋(さばえ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 間部詮言
 遺構  : なし
 交通  : 北陸本線鯖江駅または
       福井鉄道西鯖江駅徒歩5分


       <沿革>
           猿楽師から将軍徳川家宣の側用人となって権勢をふるった間部詮房は、徳川吉宗の
          代に失脚し、高崎から村上5万石へ転封となった。享保五年(1720)に詮房が世を去る
          と、跡を弟で養嗣子の詮言が継いだが、まもなく越前鯖江へ移封された。表高は同じ
          5万石であったが、城持ちから無城大名に降格のうえ実収も減少したことから、内実は
          かつての権力者に対する懲罰的な左遷であった。
           当時の鯖江は誠照寺の門前町ではあったものの、詮言は陣屋も城下町も一から建設
          しなければならなかった。2年ほどを費やして、ようやく藩府としての体裁が整ったといわ
          れる。
           詮言から数えて7代目の間部詮勝は、天保十一年(1840)に老中に就任し城主格と
          なった。しかし、築城や陣屋の拡張などは行われることなく、同十四年(1843)に老中を
          辞した。
           安政五年(1858)に大老井伊直弼によって再び老中に抜擢された詮勝は、直弼ととも
          に安政の大獄で主導的な役割を果たした。吉田松陰の要駕および暗殺計画の標的と
          なったことでも知られている。桜田門外の変後の文久二年(1862)、詮勝は大獄の責め
          を負わされ、1万石の減封となった。
           詮勝の八男詮道の代に、鯖江藩は明治維新を迎えた。


       <手記>
           鯖江市街の屋形町に屋形稲荷神社と境内の公園があり、その周辺が陣屋跡とされ
          ています。敷地はかなり広大だったそうですが、今では跡形もありません。地名に往時
          を偲ぶのみとなっています。


           

鯖江陣屋跡(屋形稲荷神社)。


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