黒木御所(くろき)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 佐渡国守
 遺構  : 不明
 交通  : 両津市街または佐和田市街からバスに
      乗り、「泉」下車徒歩5分


       <沿革>
           承久三年(1221)、後鳥羽上皇とその子順徳上皇は討幕を図ったが、承久の乱で
          宮方の武士は鎌倉方に敗れた。順徳上皇は佐渡国へ配流となり、はじめ国分寺が
          行在所とされた。ほどなく、当時の佐渡国守の直轄地であった泉に行宮が造営され、
          仁治三年(1242)に崩御するまでの上皇の居所となった。当時の国守については、
          名越流ないし大仏流北条氏ともいわれるが、はっきりしたことは不明である。
           黒木御所とは地名等による名称ではなく、樹皮の付いたままの木材で建てられた
          行宮を指す言葉で、転じて粗末な御所という意味合いをもつ。


       <手記>
           日蓮、日野資朝、そして順徳上皇と、名のある政治犯の配流先となってきた佐渡。
          島の人たちにとっては中央とのつながりを示す遺址ということで、彼らゆかりの地は
          大事に語り継がれている感があります。
           黒木御所も、粗末な館ということなので遺構はなさそうですが、立派な碑に説明板、
          さらには駐車場やトイレまで整備されています。御所跡にはさまざまな句碑や、地元
          の有志による献灯などが並び、旧跡の雰囲気は十分です。
           また、御所の北西には上皇が遷宮に際して禊を行ったとされる御所滝があります。
          御所跡前の道を少し上った左手から畦道を入るのですが、滝に至るまではその先が
          やや不案内です。いったん藪道を登って民家の庭先のようなところを抜け、また少し
          下ると、暗く小さな谷に御所滝があります。
           黒木御所は城跡とは呼べないでしょうが、周辺には小領主の城館が集まっていて、
          泉が古くから開けた土地であったことがうかがえる史跡といえるでしょう。

           
 黒木御所前の石碑と説明板。
御所内の上皇が持仏を祀ったとされる一画。 
 御所滝。


BACK