小川城(おがわ)
 別称  : 穴城
 分類  : 平山城
 築城者: 不詳
 遺構  : 曲輪、堀跡か
 交通  : 相川市街からバスに乗り、
      「下小川」下車徒歩3分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、石花氏に属した土豪の城とあり、城主や来歴の詳細は
          不明である。石花氏は石花城を居城とし、小川から岩谷口まで22か村ないし24か村を
          領していたとされる。


       <手記>
           下小川の集落に臨む丘の先端部に築かれた城です。別称の穴城は、土地の字から
          きています。付け根の鞍部が切通し道となっていて、背後の堀切を掘り下げたものとも
          考えられます。
           頂上へは、南西麓から法面伝いに登る踏み分け道があります。途中で道は消失して
          しまいますが、上にお墓が3基並んでいるのでそれを目指してあとは直登です。途中、
          腰曲輪や土塁、竪堀、虎口のような地形が見られるのですが、城の遺構なのかどうか
          は判断の難しいところです。頂部は削平されているものの、びっしりと草が繁茂していて
          ようすはよく分かりません。冬には枯れる一年草と思いますが、それでも見通しは悪い
          のではないかと思われます。
           小川城が石花氏に属するとすると、沢根本間氏との境目の城だったことになります。
          かつての街道は、相川の北端の百足山大権現から山肌に取りついていたとみられ、
          再び平地に下りる小川の集落は、重要な意味を持っていたと考えられます。

           
 波切観音から小川城跡を望む。
背部の切通し道。堀切跡か。 
 頂部のようす。
腰曲輪跡か。 
 堀跡か。
虎口跡か。 


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