鷺沼城(さぎぬま) | |
別称 : 鷺沼旅館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : 京成千葉線検見川駅徒歩15分 | |
<沿革> 『吾妻鏡』によれば、治承四年(1180)の石橋山の戦いに敗れた源頼朝が再起を図った際、 「鷺沼旅館」に滞在して散り散りになった将兵の集まるのを待ったとある。この「鷺沼旅館」が 鷺沼城の原型とされるが、確証はない。 また『千葉郡誌』には、正応年間(1288〜92)に鷺沼太郎源太光義が居城としていたとある。 さらに、地元有志が昭和三十四年(1959)に建てた「鷺沼源太満義諸武士之碑」の碑文には、 正応年間に市川城主の里見氏と満義ら下総の諸将が北条氏康と戦って討ち死にしたとある。 しかし、鎌倉時代の正応年間にはもちろん北条氏康も房州里見氏もなく、『日本城郭大系』 では碑文の内容に注意を要するとしている。鷺沼氏についても、源太の名乗りと「義」の一字 から源姓とも考えられるが、その出自は不明である。 <手記> 国道14号線はかつては海岸線沿いの街道で、鷺沼城はその背後のやや幅広い台地の角 に位置しています。城跡の中心部とみられる一帯は「鷺沼城址公園」となっていて、習志野の 市役所前から遊歩道を南下すると、登り口の階段があります。 台地上は鷺沼古墳群としていくつかの小さな古墳が点在し、園内にも2基の古墳が並んで います。これらの古墳を取り込むように、コの字型に土塁が盛られているように見受けられ、 その先端には先の鷺沼源太光義の墓とされる源太宮の小祠があります。ただ、城址公園と 銘打っておきながら、園内には古墳の説明しかないのは少々気になりました。 『大系』には、南東の根神社も城域とする見解が示されています。正応年間の光義の館は さすがにそこまで大きくはなかったでしょうから、もし鷺沼城が戦国時代くらいまで存続して いれば可能性はあるかもしれません。ただ、室町時代以降の動静は不明なため、はっきりと したことはいえないでしょう。 |
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鷺沼城址公園入口。 | |
鷺沼源太満義諸武士之碑。 | |
源太宮。 土塁上に建っているように見えます。 |
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古墳とその間の土塁。 | |
同じく土塁を裏側から。 |