西条西城(さいじょうにし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 西条長綱か
 遺構  : なし
 交通  : 徳島自動車道土成ICから車で10分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、佐々木氏の後裔を称する西条長綱が当地を領したとされる。
          長綱の嫡子・壱岐守は、天正十年(1582)の中富川の戦いで息子の益大夫と共に戦死した
          とされる。西条父子は三好方で参戦したとみられ、『城跡記』によれば同年中に西条西城も
          落城した。これにより西条西城および西条氏は滅びたとみられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           上に図示したポイントに城址碑が建っていますが、遺構はありません。古絵図によれば、
          蛇池という池の畔に築かれていたそうですが、『大系』の頃にはすでに「往時をしのぶことも
          できない」状況だったようです。
           ちなみに、西条西城とは西条東城との対によるものですが、当時もそのように呼ばれて
          いたのかは定かでありません。

           
 西条西城跡。
周辺現況。 


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