福田城(ふくだ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 福田美作守か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR小海線海瀬駅徒歩30分

       <沿革>
           福田美作守という人物が居住したため、福田城と呼ばれるようになったとする伝承が
          あるが、福田氏の素性を含め城の歴史は不明である。


       <手記>
           雲場川と北沢川に挟まれた細長い峰上の城です。最後尾の背後で峰を渡る道路の
          峠に、地名が記された小さな標識が建っていて、そこから草木を少しかき分けて登る
          と、最後尾の曲輪にでます。
           この曲輪には祠が祀られていて、その台座は土塁跡を利用しているように見えます。
          ただ、曲輪の縁の造作ははっきりしていません。位置関係的に、登城口の切通し道は
          堀切跡の可能性が高いかと思います。
           そこから先端側に歩くと、木が伐採された自然地形の尾根に出ます。日当たりがよい
          ので、夏場は歩けないほど草ぼうぼうになると思われます。その自然地形尾根を抜け
          ると、2番目の曲輪に着きます。この曲輪は東側がはっきり数段の削平地になっていて、
          また北側にはテラス状の帯曲輪が巡っています。
           一番のハイライトはその先の堀切で、竪堀も含めかなりの規模です。堀切の向こうが
          主郭で、上下二段に分かれている上段に、鳥居付きの小さなお社があります。さらに
          先へ進みたいところですが、ここも日当たりがよくで私の訪れた5月時点ですでにド藪
          でした。しかもハチが旋回していたのでこれ以上は無理と諦め、引き返しました。
           一般にはさらに下り、明光寺を挟んだ峰の先端付近まで城域とされているようです。
          ただ、明光寺周辺は畑の段築が巡り、広場が建設されているなど、どこまで旧状が
          保たれているのか疑問符ではあります。
           とはいえ、全体的にはそれなりの規模があり、一介の在地領主の居城で終わった
          とは思えません。おそらく、最終的には武田氏の手が入っているものと推察されます。

           
 福田城跡遠望。
最後尾の曲輪の祠。 
 祠の台座から右手奥へ、土塁跡か。
後ろから2番目の曲輪の削平地群。 
 同曲輪北側の帯曲輪。
主郭背後の堀切。 
 堀切から続く竪堀。
主郭のようす。 
 最後尾の峠道からの登山口。
 この標識が目印です。


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