佐野川館(さのがわ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 守屋氏か
 遺構  : 不明
 交通  : JR中央本線藤野駅よりバス
       「鎌沢入口」バス停下車徒歩20分


       <沿革>
           相模原市の遺跡地図に戦国時代末期の館跡として記載があるが、詳細は不明である。
           永禄二年(1559)成立の『小田原衆所領役帳』によれば、佐野川村には守屋若狭守・
          同四郎左衛門・同大炊助・同雅楽助の4人が、それぞれ2貫800文から7貫文までの所領
          を得ている。比定地には現在も守屋氏が居住していることから、これら4人の守屋一族の
          うちいずれかの居館であったものと推測される。


       <手記>
           佐野川館のあったとされる鎌沢地区は沢井川の支脈の谷にあたり、館跡は地区の熊野
          神社とその麓の旧家付近と比定されています。沢井川沿いには、関東平野と甲州を結ぶ
          街道の1つ陣馬街道(案下道)が通っています。街道から1本入ったところとはいえ、鎌沢
          地区は耕地を拓く余地のほとんどないような谷間の集落で、現在は急峻な斜面に茶畑が
          散在しています。ここのお茶は、佐野川茶としてブランド化しているほど売り込まれている
          ようですが、かつては失礼ながら落ち武者が隠れ住んでいたような鄙の集落であったもの
          と思われます。
           このようなところに本当に領主がいて居館を構えていたのかと疑いたくなるような険しい
          土地ですが、『役帳』に記された守屋一族の貫高の異様な低さをみると、むべなるかなと
          いった感じでもあります。おそらくは、街道関連の収入で生計を立てていたのでしょう。
           館跡については、前述のとおり大部分が民家の敷地ですので、遺構の有無など詳細は
          不明です。熊野神社についても、2段になっているものの、とても人が立て籠もれるような
          広さはありませんので、詰城的要素があったかどうかは疑わしいところです。

           
 熊野神社。
比定地付近から望む鎌沢の谷。 


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