茶臼山城(ちゃうすやま) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 寒川右馬允 | |
遺構 : 削平地、堀跡か | |
交通 : JR高徳線讃岐津田駅からバスに乗り、 「道の駅みろく」下車徒歩5分 |
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<沿革> 『全讃史』によれば、城主は寒川右馬允とされる。『日本城郭大系』によると、旧長尾町の 『宝蔵院古暦記』に、寒川長俊朝臣の第2弟として右馬允の名が見え、延徳二年(1490)に 大窪寺領を寄進した記録があるとされる。 『新撰玉藻集』には、寒川元政の父として左馬頭長俊の名がある。ただし、一般には元政 の父は左馬允元家とされている。あるいは、長俊と元家は同一人物とも考えられるが確証 はない。この場合、右馬允は当主の実弟ということになり、寒川家中の最有力者の1人で あったと推定される。 <手記> 四国最大規模の前方後円墳とされる、富田茶臼山古墳が茶臼山城跡とされています。 道の駅みろくから全景を見渡せるほか、東麓に公園駐車場があります。 四国最大はといってもそこまで巨大とはいえず、墳丘の上だけでは城館として取り立てる には狭すぎるという意見もあるようです。とはいえ、そもそも古墳を利用した城は少なくない ものの、墳丘上に館を設けている例はまずないでしょう。当時とて古墳はお墓と認知されて いたはずなので、そこに居住するのはさすがに躊躇われたはず…。おそらく墳丘には物見 や詰曲輪が設けられ、居館部は周囲のどこかにあったと推測されます。 城としての遺構は判然としませんが、前方部と後円部の境目に1本、前方部の前方にもう 1本、堀切状の溝があります。また、前方部の南側斜面は数段に削平されていて、あるいは これらが城の造作の一部とも考えられます。 |
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富田茶臼山古墳俯瞰。 | |
後円部頂部のようす。 左手後方の山は雨滝城跡。 |
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後円部から前方部を俯瞰。 | |
前方部から後円部を望む。 | |
後円部と前方部の間の溝状地形。 | |
前方部前方の溝状地形。 | |
前方部南側斜面の削平地。 |