前田城(まえだ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 前田宗存 | |
遺構 : 土塁、堀跡、虎口 | |
交通 : 琴電長尾線西前田駅徒歩20分 | |
<沿革> 十河城主十河景滋(存春)の弟の頼母頭宗存によって文明年間(1469〜78)に築かれ、 宗存は前田氏を称した。前田氏は主殿頭宗春・甚之丞宗清と続き、とくに宗清は弓の名手 で武勇にも優れ、弓矢等を構えたまま六尺(約1.8m)の塀を飛び越えたと伝わる。 天正十年(1582)八月、讃岐へ本格的に侵攻した長宗我部元親によって、前田城は攻め 落とされたとされる。十河城は持ち堪えたため、宗清はそのまま十河城に籠ったものと推測 されるが、同十二年(1584)に再び襲来した長宗我部軍との戦いで討ち死にした。十河城も 陥落し、前田城もこのときまでに廃城となったとみられる。 <手記> 北から緩やかに延びる舌状台地を利用した城で、宝寿寺の境内や墓地となっています。 本堂北側に、土塁や堀跡に囲まれた本丸が比較的良好な姿で残り、標柱や説明板も設置 されています。郭内には前田家の墓碑群があり、北東隅の土塁が最も高く、当時の様相を 色濃く残している一画といえるでしょう。 とはいえ本丸は居住するには狭く、城主の居館などは南側の二の丸にあったと考えられ ます。二の丸跡に建つ宝寿寺は、無住なのか本堂がボロボロに崩れて立入禁止となって いました。 |
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南東麓から前田城跡を望む。 | |
本丸南側虎口跡か。 | |
本丸南辺の堀跡。 | |
本丸内の説明板。 | |
本丸のようす。 | |
本丸北東隅の土塁。 | |
本丸北辺の堀跡を見下ろす。 | |
本丸西辺の堀跡。 | |
二の丸跡に建つ宝寿寺。 | |
二の丸跡の宝寿寺墓地。 | |
二の丸跡から南方を望む。 |