千頭峯城(せんとうがみね) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 井伊氏か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀、虎口、井戸跡 | |
交通 : 天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅徒歩30分 | |
<沿革> 築城の経緯は明らかでない。千頭峯城北西の大福寺に伝わる『瑠璃山年録残編』 によれば、暦応元/延元三年(1338)に南朝の宗良親王が井伊氏に匿われた際に、 井伊氏庶流の奥山朝藤が千頭峯城を守っていたとされる。 翌暦応二/延元四年(1339)、北朝方の高師兼が大軍を率いて千頭峯城を攻囲 した。城方は親王の廷臣らを加えた数百の兵でよく守ったが、およそ三ヶ月を経て 落城した。 この戦い以外では、現在のところ史料に千頭峯城は登場していない。 <手記> 旧三ヶ日町市街東方の、摩訶耶寺裏手に突き出た峰が千頭峯城跡です。徒歩で 訪ねる場合は寺の裏手から登山道があるようですが、車なら東側尾根筋のトンネル 南詰に駐車場が設けられていて、尾根に上がる道が整備されています。 山頂の本曲輪を中心に東、西、南の三方に曲輪が伸びています。西曲輪の堀切 から南曲輪の脇を抜けて麓に至る古道があり、これが大手道と考えられています。 本曲輪から南曲輪群へまっすぐ下る直登道もあるのですが、こちらは曲輪を分断し ながら突き進んでいるので、後世に造作されたものとみられています。 大手道沿いには竪堀があり、また東と西の曲輪群には堀切が穿たれているなど、 南北朝の城跡にしては整い過ぎている感があり、少なくとも現在の遺構は戦国期 に手を加えられたものと推測されています。井伊谷方面の北東方面にはほとんど 防備が施されていないことから、最終改修者は井伊氏であると拝察されます。 ただ、南曲輪群については、ひな壇状に連なる削平地を基調としていることから、 もともとは摩訶耶寺ないし他の寺社があったところを、南北朝らしく城に取り立てた ものなのではないかと、個人的には考えています。 |
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駐車場付近から千頭峯城跡を望む。 | |
本曲輪のようす(櫓台方面)。 | |
櫓台から本曲輪を俯瞰。 | |
本曲輪西側の虎口。 | |
その下の西二曲輪。 | |
西二曲輪の虎口。 | |
西二曲輪と西曲輪の間の堀切。 | |
西曲輪の土塁。 | |
西曲輪から南曲輪群へ下りる道沿いの竪堀。 | |
南曲輪の土塁。 | |
同上。 | |
南曲輪の虎口跡と思われる箇所。 | |
南曲輪群の削平地。 | |
本曲輪東側の虎口。 | |
その下の東二曲輪。 | |
東二曲輪下の井戸跡。 | |
東曲輪。 | |
東曲輪の堀切その1。 | |
その2。城の東端の堀切。 |