芹川城(せりかわ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 築山氏または河野氏か
 遺構  : なし
 交通  : 市バス「下鳥羽城ノ越町」バス停下車


       <沿革>
           山本正男「京都市内およびその近辺の中世城郭」(『京都大学人文科学研究所調査報告
          第53号』)によれば、芹川城の北方に「河野大蔵越智宿祢通昭」と「築山弥兵衛越智宿祢
          通清」の名が刻まれた墓があることから、河野氏ないし築山氏の城館であると推測されて
          いる。ただし、確証はない。
           両氏については、「通」の字と越智姓を名乗っていることから伊予河野氏との関連が指摘
          できるものと考えられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           芹川城は渡瀬児童公園の北、海徳寺の北東にあったとされています。明治までは、西を
          除く三方の堀跡が残っていたそうです。今日では、宅地化や大通り建設によってそれらも
          失われ、遺構らしきものは見当たりません。

           


芹川城南西隅に隣接する海徳寺。


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