渋川城(しぶかわ)
 別称  : 渋川寄居
 分類  : 平城
 築城者: 渋川地衆か
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR上越線渋川駅徒歩15分


       <沿革>
           元亀三年(1572)、武田信玄の意を受けた真田氏が白井城を攻略した際に築かれたとされる。
          ただし、真田氏による白井攻略はその前年の同二年とされる。
           後に、白井城から八崎城へ逃れていた長尾憲景が渋川城の武田勢を破ったと伝えられるが、
          詳細な時期については不明である。

       <手記>
           現在の正蓮寺境内が渋川城主郭跡とされています。北辺に備後川が屈曲して流れる崖端の
          城です。境内には石碑が建てられていますが、碑文にある説明が『日本城郭大系』の丸写しに
          なっているのは、いかがなものかと少々気になります。
           主郭西側に空堀や土塁、井戸跡が残っているそうですが、お寺の私宅エリアになっており、
          勝手に入ることは憚られます。土塁は外側からでも確認できますが、空堀は見えませんでした。
          主郭南辺と東辺は水路を兼ねた堀となっています。この水路が北東で備後川と合流する付近に
          正蓮寺の駐車場があり、そこから境内へは階段を登ってなぜか冠木門をくぐります。この冠木門
          のあたりは、かつても主郭の出入り口だったのではないかとも考えられます。
           字寄居は正蓮寺の外側にも広がっており、『大系』では水路の南側に外郭があったものと推定
          しています。とくに、正蓮寺から水路を挟んだ東側の妙法寺の周囲は、土居状の高まりとなって
          います。

           
 渋川城址碑。
主郭北東麓(『大系』では第二郭)より主郭を望む。 
 堀跡の水路越しに主郭の土塁跡を望む。
妙法寺裏手の土居状の高まり。 


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