渋谷氏館(しぶやし)
 別称  : 渋谷氏長後居跡、渋谷家城
 分類  : 平城
 築城者: 河崎基家か
 遺構  : なし
 交通  : 小田急江ノ島線長後駅徒歩15分


       <沿革>
           長後天満宮の由緒によれば、秩父武綱の二男河崎基家が永久三年(1115)に相模国渋谷荘
          長後村に築城し、城内に菅公の廟を建立したとある。ただし、渋谷荘を得て渋谷氏を称したのは、
          基家の孫の重国のときとするのが一般的である。
           渋谷重国は、平治元年(1160)の平治の乱に敗れて流人となった佐々木秀義とその息子らを
          領内に匿ったことで知られている。したがって、このときまでには、渋谷荘内に居館が営まれて
          いたものと思われる。
           鎌倉幕府成立後、重国の子孫の多くは新たに得た薩摩国の所領へと下向し、薩摩渋谷氏と
          して繁栄した。相模国の渋谷領については、重国の嫡孫重直が継いでいるが、その後について
          は詳らかでない。

       <手記>
           渋谷氏の居館跡とされる天満宮は、引地川と境川に挟まれた細長い台地の西辺崖端に鎮座
          しています。境内に建てられている立派な石碑には、前出の由来が刻まれており、河崎基家が
          城を築いたとする由緒にも触れられています。そのほかには、館跡を示すものはありません。
           開発領主の居館としてはありうべき地形ではあるものの、遺構はみられず、『日本城郭大系』
          では「伝承地」として城館の存在については明言を避けています。かつては天満宮の南東にも
          ごく小さな細い谷戸が入り込んでいたようで、この辺りを利用して開拓を進めていたのではない
          かと推察されます。

           
 天満宮のようす。
西麓から境内を見上げる。 

 
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