志度城(しど)
 別称  : 中州城、中津城
 分類  : 平城
 築城者: 安富盛長
 遺構  : なし
 交通  : 琴電志度駅またはJR志度駅徒歩5分


       <沿革>
           長禄年間(1457〜61)に、近隣の土豪寒川氏から寒川郡内の鶴羽・鴨部・志度の3郷を
          得た細川四天王の1人安富盛長は、雨滝城を築いて居城とし、その支城として志度城を
          設けた。『全讃史』によると、城主には多田和泉守とされるが、城の存続期間を考えると
          城主が1代限りとは考えられない。和泉守がいつごろの人物なのか、あるいは歴代当主
          の通名なのかは定かでない。
           天正十年(1582)に、八栗城などとともに長宗我部元親により攻め落とされたとされる。
          これにより、志度城はそのまま廃城となったと考えられる。
 

       <手記>
           志度は、四国八十八箇所の1つ志度寺の門前町として栄え、今では牡蠣の養殖などで
          知られる港町です。志度城本丸跡は、かつての志度町役場跡ということですが、今では
          住宅街の路地裏に埋もれてかなり分かりにくくなっています。上の地図の緑点付近に、
          屋敷神とみられる地蔵や不動尊、五輪塔があり、その脇に説明板が置かれているのが、
          ほぼ唯一の城のよすがです。
           遺構はありませんが、志度町内には今も多田姓のお宅がちらほらみられます。要害性
          がそれほど高かったとは思えず、安富氏とすれば志度寺の門前町を押さえることが第一
          目的だったのでしょう。
           ちなみに、城跡から歩いて10分くらいのところに牡蠣小屋が建ち並ぶ一画があります。
          冬から3月にかけて、牡蠣めしと牡蠣汁のついた焼き牡蠣食べ放題が楽しめるので、
          その時期に訪れた人は立ち寄ってみるとよいでしょう。

 志度城跡説明板。
説明板付近に地蔵・不動尊・五輪塔。 
 おまけ:志度の牡蠣小屋。


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