下鴨城(しもがも)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 渡辺十乗坊ら
 遺構  : なし
 交通  : 京阪鴨東線/叡山電鉄出町柳駅徒歩5分
       または市バス「新葵橋」バス停下車


       <沿革>
           山本正男「京都市内およびその近辺の中世城郭」(『京都大学人文科学研究所
          調査報告 第53号』)によれば、『室町殿日記』と『陰徳太平記』に記述がみられる
          という。それによると、永禄八年(1565)、渡辺十乗坊・磯谷らが「鴨川の頭」に城
          を築き、六角佐々木義賢に加勢を依頼した。義賢は、家臣永原壱岐守ならびに
          馬淵下野守を派遣して松永久秀と対峙したという。


       <手記>
           山本「中世城郭」によれば、下鴨城は河合神社の南隣にあったとされています。
          しかし、「江戸期から昭和初期まで竹藪であった」とする記述以外に根拠がなく、
          比定地には疑問も残ります。また、下鴨城という名称も山本氏が仮に付けたもの
          らしく、当時の呼び名は不明です。「鴨川の頭」という表現から、賀茂川と高野川
          の合流地点により近い場所であった可能性も考えられると思われます。
           『日記』と『太平記』の記述が正しければ、下鴨城は渡辺氏らによって築かれ、
          六角氏の軍勢が入って守ったことになります。永禄八年ということから、おそらく
          将軍足利義輝暗殺後の混乱のなかで、松永久秀や三好三人衆を牽制する目的
          があったのでしょう。ただし、当時の六角氏の当主は義賢ではなく、その子義治
          でしたから、その点ではまた疑問が残ります。

           
 下鴨城址比定地周辺現況。
比定地東隣を流れる瀬見の小川。 


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