下市野沢城(しもいちのさわ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 本間元重か
 遺構  : 池
 交通  : 両津市街または佐和田市街からバスに
      乗り、「市野沢」下車徒歩15分


       <沿革>
           佐渡市の遺跡地図に記載があるが、詳細は不明である。
           比定地北端に位置する本覚寺には、佐渡へ配流となった日蓮上人にまつわる伝説が
          ある。それによると、文永九年(1272)六月、日蓮は本間五郎入道元重の屋敷で法話を
          行い、その際に座中の貴婦人からご本尊を求められた。手持ちの紙がないと告げると、
          婦人は襦袢の左袖を差し出したので、日蓮はそこに題目を記した。すると、婦人は龍と
          なり、池の端の松を登って昇天し、辺りはたちまち大雨となった。折しくも周辺の農民は
          旱魃に悩んでいたため、この池を「袖ヶ沢」と呼んで大喜びしたとされる。今も、付近の
          字を「袖ノ沢」という。
           この伝説に従うならば、袖ヶ沢の池の脇には本間五郎入道元重の館があったことに
          なる。下市野沢城とはすなわち、この本間氏の居館を指すと思われるが、確証はない。


       <手記>
           佐渡市の遺跡地図では、上述の本覚寺はギリギリ城域外で、境内から南側が城跡と
          されています。両側に谷戸の入り込んだ丘陵上で、幅は狭くはありませんが広くもなく、
          周辺の城館の規模を考えると、遺跡地図どおりの範囲というわけにはいかないでしょう。
           個人的には、やはり本覚寺境内を城域とする崖端の館城と考えています。境内の北西
          隅には「御腰掛ノ石」と七面堂があり、その基壇は土塁状に高まっています。また、境内
          西辺には4代目という「登龍ノ松」と濠様の池があり、これが袖ヶ沢の名残と思われます。
          池の向こうは道路ですが、そのさらに向こうにはより大きな溜池があり、かつては2つで
          1つの池だった可能性も考えられます。そうすると、崖と池に挟まれたこの場所は城館を
          築くのに適した土地であり、またこの池の水利を押さえることが、鎌倉時代の領主として
          重要であったのではないかと推察されます。
           ちなみに、本覚寺への道はほとんど轍のみのオフロードで、両脇は前述の通り池です。
          小回りの利かない車で城域内まで行くのは、おすすめできません。

           
 遺跡地図にある城域北端付近から
 本覚寺を望む。
本覚寺本堂。 
 境内北西隅の土塁状地形。
境内西辺の濠状の池。 
袖ヶ沢か。 
 濠状の池の向こうにある溜池。
 2つの池はかつて1つだったか。


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