新庄城(しんじょう)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 中川清秀
 遺構  : なし
 交通  : 阪急千里線下新庄駅徒歩5分


       <沿革>
           天正年間(1573〜92)に茨木城主中川清秀によって築かれたとされる。今日の新庄の地名は、
          「新城」の転訛といわれる。清秀は天正十一年(1583)の賤ヶ岳の戦いで討ち死にし、嫡男秀成
          は同十三年(1585)に播磨国三木城主に取り立てられているため、遅くともこのときまでに廃城
          となったものと推測される。


       <手記>
           東淀川区下新城にある浄土真宗本願寺派の明教寺が、新庄城跡とされています。明教寺は
          山号を「城地山」というあたりも、城跡に建立されたという自覚を示しているのでしょう。ちなみに、
          大阪には城砦跡が本願寺派の寺院になっている例が多いような気がします。
           古地図を見ると、神埼川の河岸沖積地に築かれた城であったことが分かります。

 城地山明教寺。
同上。 
 北側を流れる神崎川。


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