高須城(たかす)
 別称  : 高津城
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR塩尻駅からバスに乗り、
      「大正橋」下車徒歩1分


       <沿革>
           天文十七年(1548)の塩尻峠の戦いで武田晴信(信玄)に敗れた小笠原長時がこの城で
          態勢の立て直しを図ったものの、再び敗れて府中へ退いたとされる。それ以降の高須城の
          動静や存廃については不明である。


       <手記>
           田川沿いの沖積地に築かれた城です。川沿いの道の脇に説明板があり、それによると、
          地名を桟敷村高津といったことから、高須城とは高津の転訛ではないかとありました。
           説明板の裏手には堀跡が残り、その北側が中心部とみられ、北辺から東辺にかけては
          切岸状の地形が延びています。堀跡の南側にもう1郭あったように思われ、民家の西側に
          土塁状の土盛り地形が見られました。国土地理院地図の古い航空写真を見ると、ちょうど
          旧河岸と位置的に合致し、私の推測もあながち間違っていないように感じますが、周辺は
          宅地となっていて確証はありません。
           全体として在地領主の館城といった感じで、長時が武田氏に備えて築いた可能性は低い
          といえるでしょう。

           
 「高津城址」説明板。
説明板裏手の堀跡。 
 同上。
北辺の切岸状地形。 
 同じく北東隅付近。
堀跡南側の土塁状地形。 
かつての河岸ラインと合致するようです。 
 田川の流れ。


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