内城(うち)
付堀ノ内館
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 塩尻氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線塩尻駅徒歩20分


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』に、推定城主として塩尻氏の名が挙げられている。塩尻氏は
          鎌倉時代の地頭で、畠山重忠の子重保を祖とするともいわれるが、詳細は不明である。重保
          は、元久二年(1205)の畠山重忠の乱において謀殺されている。
           内城から通りを挟んだ西側には、江戸時代の堀ノ内村の名主堀内家の屋敷が現存している。
          『集成』では、この堀内家住宅一帯を「堀の内館」として記載している。ただし、その詳細にに
          ついては不明である。堀内家についても、その出自は明らかでない。


       <手記>
           内城跡と堀ノ内館跡はともに旧中山道に面しており、細い通りを隔てて隣り合わせています。
          両者とも、『集成』に示されている通りの場所にあったのか、そもそも堀ノ内館については存在
          したのかも怪しいですが、あったとしても同じ時代に隣り合わせで併存していたとは考えにくい
          と思われます。
           内城跡の方は住宅地になっており、堀ノ内館跡には、上述の通り旧家堀内家住宅が建って
          います。堀内家住宅は、松本平の伝統である「本棟造」を今に伝える貴重な家屋ですが、城館
          としての遺構があるかどうかは不明です。

           
 内城跡周辺現況。
堀ノ内館跡とされる堀内家住宅。 


BACK