四郎丸館(しろうまる)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 名取四郎か
 遺構  : なし
 交通  : JR奥羽本線南仙台駅よりバス
       「四郎丸市営住宅前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           奥州藤原氏藤原秀衡の家臣名取四郎の居館であったと伝わる。四郎丸の地名は、名取四郎
          に因んだものとされる。奥州藤原氏が滅亡すると、それから半世紀ほど経った宝治元年(1247)
          の宝治合戦の恩賞として、曽我氏が四郎丸領主となった。
           16世紀初めごろ、伊達家臣菅井和泉守実国が四郎丸を与えられ、善徳寺を再興した(当時の
          寺名は善応寺)。『 仙台世臣家譜』によれば、菅井氏は源姓畠山氏流とされるが、詳しい系譜
          は定かでない。菅井家は江戸時代を通じて仙台藩士として続いた。
          
       <手記>
           善徳寺周辺が四郎丸館跡とされています。部分的に数次に及ぶ発掘調査がなされ、掘立柱
          建物跡や柵列跡、溝や井戸跡などが検出されています。武士の館があったことは確実視され
          ているようですが、その実態についてはあまり明らかになっていません。
           とくに説明や案内の類は見当たりません。南に水路程度の小川が流れている以外は要害性
          も認められず、城館を偲ばせるようなものはほとんどありません。ただ、付近には古墳が多く、
          古くから開かれていた土地であることがうかがえるのと、「戸ノ内」の小字が「殿内」の転訛では
          ないかと類推される程度です。

           


四郎丸館跡比定地(善徳寺)。


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