紫雲出山遺跡(しうでやま)
 別称  : なし
 分類  : 古代遺跡
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : JR予讃線詫間駅からバスに乗り、
      「大浜」下車徒歩60分


       <沿革>
           弥生時代中期後半の高地性集落とされ、昭和二十二年(1947)に発見された。高地性集落は
          麓から比高差のある山上などに形成された先史時代の集落であり、ほとんどが瀬戸内や近畿
          に集中している。農耕が普及した弥生時代にあって、わざわざ高地に集落を設けるのは軍事的
          な理由が大きいと考えられている。ただし、紫雲出山遺跡からは防御施設や軍事施設と思しき
          痕跡は見つかっていない。
           一方、その特徴的な比高や眺望の良さから、瀬戸内航行の監視が主な目的であったとする
          説もある。社会情勢の変化により、弥生時代中期の終わりごろには放棄され、南東麓の船越に
          集落が移されたと考えられている。


       <手記>
           紫雲出山は桜の名所や絶景スポットとして観光地になっており、山頂近くまで車で登れます。
          頂上の展望台手前に喫茶室があり、その脇に竪穴式住居や高床倉庫が復元されています。
          喫茶室では瀬戸内海の景色を目の前にコーヒーが愉しめるそうなのですが、この先の予定や
          疲れもあり入りませんでした。今思えば、ちょっとでも寄ってみればよかったと思います^^;
           紫雲出山遺跡は基本的には普通の生活が営まれていた一般的な集落だそうです。なので、
          神奈川県の大塚遺跡のように防備が施されていたわけではなく、当サイトで取り上げるべき
          かどうかは微妙なところと思われます。ただ、比高350mという高所に形成されている異質さに
          加え、高地性集落の目的がそもそも軍事的なものと考えられていることから、私自身の関心も
          相俟って、掲載することにしました。ただ、城館跡という視点からは、これ以上特筆すべき点は
          なさそうです。
           紫雲出山のひとつ先端側の峰上には、現地で「新田の城あと」と呼ばれる海崎城があります。
          私は紫雲出山から稜線を歩いて海崎城へ行こうと思ったのですが、遊歩道は整備されている
          ものの見るからに下りて登るのはキツそうなうえ、夕暮れも迫っていたので断念しました。

           
 紫雲出山遺跡の復元エリア。
山頂展望台からの眺望。 
 同じく北側の眺望。


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