大塚遺跡(おおつか) | |
別称 : 大塚・歳勝土遺跡 | |
分類 : 環濠集落 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 堀、土塁、柱穴 | |
交通 : 横浜市営地下鉄センター北駅徒歩10分 | |
<沿革> 弥生時代中期のムラ跡である。周囲は、吉野ヶ里遺跡などと同様の堀と土塁に囲繞されており、 人口は100人ほどであったと推定されている。大塚遺跡の東に隣接して、ムラの人々の墓地と考え られている歳勝土遺跡がある。墓域まで含めた生活域が完全な形で発掘された貴重な遺跡として、 国史跡に指定されている。 <手記> 大塚遺跡は、横浜市歴史博物館から通りを挟んだ東側に位置し、川を挟んだ南側には、中世の 茅ヶ崎城址があります(もちろん両者に関連性はありませんが)。港北ニュータウン開発によって、 大塚遺跡の西側3分の2ほどが失われていますが、残りの部分は国指定史跡大塚・歳勝土遺跡と して、保存整備されています。 とくに大塚遺跡は、環濠の堀や木柵、木橋、そして集落内の建物が推定復元されており、かなり 見ごたえのあるものとなっています。復元の仕方は見栄がなく謙虚で、少々やり過ぎ感のある吉野 ヶ里よりも、むしろこちらの方がリアリティがあります。また、入場料に駐車料まで取られる吉野ヶ里 と異なり、こちらは無料ですので、よほど遺跡マニアというわけでもなければ、首都圏の方ならわざ わざ九州まで遠出しなくても、この大塚遺跡で十分楽しめます。 吉野ヶ里とは当然かなりの距離を隔てた遺跡ながら、両者には不思議な共通点があります。それ は、土塁と木柵の内側に堀が掘られているということです。普通に考えれば、防衛のための環濠と いうなら土塁の外に堀を設けた方が効果的であるということは、ほとんど自明だと思います。しかし、 東と西で共通の構造をもっている以上、何らかの意図をもって土塁の内側に堀が設けられたことに なります。 私は先史には詳しくないので、単なる直観なのですが、この堀はそもそも防衛の為ではなく、土塁 を構築する際に掘った穴をゴミ捨て場かなにかに利用したものではないかと考えています。事実、 吉野ヶ里遺跡の堀跡からは、土器や食べ跡などのゴミが大量に見つかっているそうです。一般的に、 このゴミは遺跡を放棄し立ち去る際に捨てられたものと考えられているようですが、むしろゴミ棄て 場として日常的に使われていたと考えると、城郭史の視点からすれば合点がいくように思います。 つまり、この堀の主目的は防御ではないと割り切ってしまわないと、説明がつかないように感じられ るのです。 |
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環濠の堀と土塁、木柵。左側が集落内。 | |
推定復元木橋。 | |
クランク状に折れた環濠。 | |
集落内のようす。 |