下芝砦(しもしば) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 長野氏か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR上越線高崎駅よりバス 「青木」バス停下車 |
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<沿革> 箕輪城の南方の防備として長野氏に築かれたものと思われるが、詳細は不明。 永禄元年(1558)の長野氏の『着到帳』には、「下芝砦定居」として上泉伊勢守時則の名がある。この 上泉伊勢守が、剣聖として名高い上泉伊勢守信綱と同一人物であるかははっきりしていない。上泉信綱 は、一時期長野業正・業盛父子に仕え、長野十六槍の一人に数えられたともいわれるが、とにかくその 前半生については謎な点が多い。 『日本城郭大系』には、同じく長野十六槍の1人青柳忠家の子治部が住していたとある。忠家は、永禄 九年(1566)の箕輪城落城の際に主君業盛に殉じて自害したが、子については不詳である。 長野氏の滅亡と同時に、武田氏によって廃城されたものと思われる。 <手記> 旧箕郷町市街地を通る2本の幹線が合流する地点にコンビニがあり、その西側に下芝砦があったとされ ています。裾野の傾斜地を利用した、ごく小規模な単郭方形の砦だったようですが、現在では完全に宅地 化され、遺構は見受けられません。ただ、この小さな住宅地を囲む生活道路は、砦の外郭をなぞったように なっており、もしかしたら当時の堀や土塁を均した跡に作ったものかもしれません。 剣客ファンなら知らぬものなき上泉信綱ゆかりの史跡「かもしれない」下芝砦ですが、残念ながら、周囲に は案内も何もありません。 |
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下芝砦周辺現況。 |