杉浦氏陣屋(すぎうらし)
 別称  : 杉浦八郎五郎勝吉屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 杉浦勝吉
 遺構  : なし
 交通  : JR大船駅よりバス、「小雀」下車徒歩5分


       <沿革>
           江戸時代初期の旗本杉浦八郎五郎勝吉の屋敷跡とされる。杉浦氏は三浦一族の杉本氏
          庶流和田氏の後裔で、建暦三年(1213)の和田合戦で戦死した和田義盛の一子杉本義国
          が、近江国に落ち延びた後、杉本と三浦から1字ずつ取って杉浦と名乗ったことに始まると
          される。勝吉の父吉貞は三河の松平清康・広忠父子に仕え、勝吉は徳川家康に供奉して
          数々の戦で功を挙げた。天正十年(1590)に家康が関東へ移封となると、勝吉は相模国の
          鎌倉郡小雀に300石を与えられた。
           勝吉の跡は婿養子の勝次が継ぎ、旗本杉浦家は幕末まで続いたとされる。


       <手記>
           本門寺のある谷戸を字殿谷といい、屋敷はこの付近にあったと考えられています。遺構
          はおろか江戸時代の領主の陣屋があったとうかがえるようなものは何もありません。周囲
          丘陵が入り組んだ浅い谷戸が袋小路のように広がっていて、殿谷はその窪地の1つでは
          あるものの要害性はほとんどありません。どちらかというと、平安・鎌倉時代の開発領主
          の居館のような立地です。
           本門寺の本堂はお寺というより高原の住宅といった感じで、手を合わせてご挨拶しよう
          としたら、正面奥が本棚になっているのが見えて不思議な感じでした。と、ご住職と思しき
          方が沿道を掃き清めていらっしゃったのでお話を聞いてみたところ、たしかにここにはそう
          いう伝承があるとのこと。より詳しいからとご自宅からお父様に声をかけていただきました。
          曰く、杉浦家は江戸時代後期には8千石の大身寄合となったが、それは分家で、小雀の
          本家は出世できないまま小禄で細々と続いたのだということです。また、今は横浜市でも
          小雀はもともと鎌倉郡に属しており、杉浦家の祖である杉本氏の本貫は現在の鎌倉市街
          にあること。その勢力圏は小雀にも及んでいて、勝吉の家系は父祖伝来の故地に戻った
          由緒正しいものであるということを力説しておられました。

           
 本門寺。
本門寺へ向かう道すがらのようす。 


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